札幌国際芸術祭2017
NHK連続テレビ小説あまちゃんの音楽を担当した大友良英をゲストディレクターに迎えた2回目の開催 彼がテーマに設定したげいじゅつさいってなんだという問いかけの答えをひとりひとりが探していくような 市民を中心としたげいじゅつさいでした
市内の子どもたちが中心となったさっぽろコレクティブオーケストラや 市民から集めた布で作る大風呂敷プロジェクトなど 準備段階から市民が参加 げいじゅつさい全体が一つのライブ会場のように連日何かがおきる躍動的な57日間となりました
- テーマ
- げいじゅつさいってなんだ
- サブテーマ
- ガラクタの星座たち
- 開催期間
- 2017年はちがつ6日じゅうがつ1日 / 57日間
- ゲストディレクター
- 大友良英
ゲストディレクター:大友良英, Photo by Peter Gannushkin
ディレクター総括
札幌国際げいじゅつさい2017を終えて
ゲストディレクターをやるにあたっての札幌市からの唯一のリクエストは市民とともにつくってほしいということでした おそらくは前回のげいじゅつさいで当時わたしがリーダーを務めていたプロジェクトFUKUSHIMA が市民とともに大風呂敷をつくり それを敷いて盆踊りをやったこと そしてその祭りがその後も八月祭として市民の間に定着していった経緯を踏まえての依頼だったと思います それにしても げいじゅつさいの監督経験などないわたしに依頼 しかも坂本龍一さんに続き 2回連続で音楽家への依頼というのは それなりの英断であったと同時に そこにすでにある方向性のようなものが見えるような気がしました
わたしはこれらのことを受けて次のように考えました
1 げいじゅつさいと言いながら 現状基本は多くの場合 現代美術を中心においている日本のげいじゅつさいですが これは音楽家の視点で 音楽のやり方でやっていいというサインだろう といっても音楽祭をやるわけではなく あくまでげいじゅつさいなのだから 音楽家が音楽祭ではなくげいじゅつさいをやったらどうなるかという視点だけは踏み外さないようにしよう そもそも音楽家が美術の世界のやり方を踏襲する必要もないわけで その辺はかなり大胆に押し通させてもらおう とりわけ わたしはインターナショナルな即興演奏やオルタナティブな音楽の現場で自分のスタンスや音楽を作ってきた人間なので その方法を基本に置かせてもらおう これについては書くと長くなるので省略しますが 即興演奏の方法を基本におくということは 事前の計画どおりにやるだけでなく 様々な状況に対応して フレキシブルに変化していくことを良しとしている上に いわゆる美術のキュレーションのように ある方向性で何か説明し配置していくのではなく 起こった現象を そこの現場に居合わせた人たちがどう受け取るかを基本にしているので 自治体のように計画的に税金を使うような方法をとっているところと組むにはかなり齟齬が出る可能性があるなとも思いました それでも音楽家 特にわたしのような即興演奏家がやる以上は そこを頑固に守りたいなとも思いました なぜなら その方向 方法にこそ 未来の可能性があるとわたしは考えているからです
2 市民とやるという依頼は 考えれば考えるほど定義が難しい 市民というのはいったい誰のことなんだろう 仮に全市民のことを言うのなら そんなことをこの予算規模でやるのは到底無理だし もしそんなことが実現したとしたら全体主義みたいになってしまうわけで そんなものは全力でやりたくないとわたしの体が拒絶反応を示しています いろいろ考えた挙句 わたしの結論は 専門家やプロだけでつくるのではなく やりたいと手を上げてくれた人にはなるべく場を提供しつつ でも1 でわたしの考える方向がぶれないようにしたい かつ よくある落とし穴で 誰にでもわかりやすくという一見民主的な言葉にひっかかってクオリティが下がるようなことはしたくないクオリティとは何という議論があるのはわかりますが この字数ではややこしくなるのでここでは置いておきます で わたしの結論は 誰でもウェルカムということではなく まずは最初にわたしのディレクションについて正確に伝え それでもやりたいという人は拒まずに 大人 子供 プロ 素人にかぎらず なるべく組んでいこうということでした ここには震災後の福島での経験が生きていると思っています
3 日本でげいじゅつさいが注目されだした大きなきっかけは町おこしへの貢献だと思うが 札幌に関しては 少なくとも町おこしが動機ではないと判断 なのでそこには軸をおかないでおこう だったら どういう目的をもったらいいのかを提示する必要はあるだろう
といったあたりが事前に考えたことでしたが それをそのまま言うのでは あまりにも理屈が勝ってしまって面白くもなんともないなと思い そのことを背景におきつつなるべくシンプルな問いかけをすることに決めました それがげいじゅつさいってなんだという疑問形のテーマです でもわたしは答えをだしたかったわけではありません 大切なのは疑問をなげかければ人々が答えてくれるということです そこから会話が生まれます おかげでプロアマ問わず市民のみなさんと関わりを持つこともでき 結果的にはそこから様々プロジェクトが立ち上がっていきました 当初はコアな企画メンバーバンドメンバーと呼びましたがとともに始めましたが いつのまにか バンドメンバーだけでなく 様々な人が関わり 意見を言う場ができ 最終的には予想よりはるかに多くの作品を発表することになったように思います 結果的に答えはいくつもあっていいわけですが なにより重要なのは答えをだすことではなく そこから生まれる多様さと その多様さをどう共有していくかということだと思います 多数決になるのではなく 多くの小さかったり かすかだったりする多様な試みが どうやれば共存していけるのか それはまさに 多様な人々が暮らす都市社会をどうオーガナイズしていくのかともイコールであり 町おこしではない都市型のげいじゅつさいがなすべきテーマはそこにあるとも思っています
次にわたしが提案したのは会ったこともない自分より有名な人の名前を出さないという企画メンバーや運営に出した縛りでした 作品の企画や説明の際に とりわけ美術では立派な先人の名前が次々出てきて自分の作品の歴史付けをするのが習慣のようになっているとわたしは感じてます 別にそれが悪いとは思いませんが でも わたしにとって そんな大文字の歴史は面白くないなと感じています なぜならその方法だと歴史というものをあまりにも単線的に見がちになってしまいますし なによりも問題だなと思うのは その説明によって その作品が美術なり音楽なりの歴史の中で重要であることを説明してしまいかねないからです 確かにそういうことはあるかもしれませんし 事実そうした作品にも素晴らしいものがたくさんあるのも知っています でも それは1に書いたわたしが見てきた世界では むしろ恥ずかしいことというか そうした権威付けははしたないことというか そんなことよりも あなたの歴史はどうなんだってことのほうが大切だと思ったのです そのために一番手っ取り早いのは会ったこともない自分より有名な人の名前を出さない縛りでした
これをやることで何が起こったかといえば 様々な展示の中でアーカイブが大きな意味を持ったことだと思います 知られた大文字の美術の歴史や音楽の歴史では見えないものがあるのだとしたら それを見えるようにするには 独自のアーカイブを作っていくことです しかもそれは会ったこともない自分より有名な人を出すのではなく つまりは権威付けするのではなく 自分がいったい何に影響をうけて何をしてきたかというのを提示することで そこから派生する別の歴史が見えてくる複数の歴史に対して繋いでいくような複数の線をどうひくかがその人の個性にもなり そこから見える歴史がまた別の何かを提示してくような豊かなアーカイブのありかたに 皆が向かっていき 今回のげいじゅつさいではかなり充実したアーカイブが各所で見られることになりました それはこれまでの美術や音楽の歴史からもれてしまうようなものがほとんどでしたが それこそが札幌がげいじゅつさいをやる大きな意味になったと思っています これもまた前段で言った多数決になるのではなく 多くの小さかったりかすかだったりする多様な試みが どうやれば共存していけるのかに共通するものです それは美術や音楽を権威あるものとして そこに参加し ある位置を獲得するような方向ではなく 自分たちにとってアートとはなんぞやというところに立ち返ることでもあると思います 芸術はどこかにある立派なもんではなく自分たちのもの そこから札幌は始めてほしいと思ってますし それこそが札幌で行われるげいじゅつさいの独自の個性を作るものだと思います それは自分たち自身で価値を創出するという意味でもあります
即興ということに関して言えば テニスコーツやわたしがほとんどの期間滞在し作品をつくりつづけ 地元の沼山さんや端さん 中島さん マユンさんはじめ数多くのアーティストや企画者も期間中 ずっと作品やイベントにかかわりつづけ 予定にないこともどんどんやりつづける中で とても文字にはしきれない 記録にしづらいこともいっぱい起き 結果的には生きたげいじゅつさいになったと思っています こうして終わってみるとアーカイブと即興につきたげいじゅつさいとも言えると思います その意味で ぶれずにディレクションを貫き 世界中どこを見てもないような 理想的なげいじゅつさいがうまれたと思っています 同時にこの方法で 市民とやるとはという問いにも ある程度の答えときっかけを提示できたと思っています この辺はぜひ次にもつなげてより発展させてほしいなとも思ってます とりわけ大風呂敷とさっぽろコレクティブオーケストラは 市民参加型として本当に素晴らしい成果を出せました 参加してくださったみなさんに対し 最大限の言葉で絶賛したい気持ちです
一点悔やまれるのは国際インターナショナルの部分が弱かったことです これは来日ミュージシャンの数の話ではありません 単に来日ということなら数多くのアーティストが来てますから そうではなく 国際げいじゅつさいというのは ドメスティックにものを発信するのではなく 様々な文化や言葉を持った人にも届くようにすることであり その自覚を運営側に徹底することをわたしが疎かにしたことが悔やまれます 世界の優れたものを持ってくるから国際なのではなくそれもありますが そうではなく自分たちのやってることが 地球の反対側にも届くようにすること 日本語圏以外にも何をやってるかが伝わるようにすることこそが国際あるいはインターナショナルということだとわたしは考えています もしも札幌が将来オリンピックをやりたいのであれば この国際インターナショナルとはなんなのかを考える機会をもっと持つべきだし げいじゅつさいはそれを実践するまたとない機会だと思っています 日本語だけで全てが完結する世界だけでは芸術を語るには不十分すぎる いや芸術だけでなく世界を語るには不十分すぎるという言葉を残して わたしは次の方にディレクションを引き継ぎたいと思います
2017年1にがつ2日 ブラジル リオデジャネイロにて
札幌国際げいじゅつさい2017 開催報告書より転載