札幌国際芸術祭2020(中止)

雪が積もる冬季の開催や 3名の専門家が集結したディレクターチーム制 地域の学芸員をキュレーターに起用するなど これまでとは異なる条件に挑戦したサイアフ2020

札幌北海道の自然や歴史 そして現在 未来に直面する課題を 大地に張る根ルーツと大空に浮かぶ雲クラウドと その間にある世界に重ね合わせながら ここで生きようとするすべての人々が芸術から社会を捉え直す場をつくりあげようとしていました また アートメディエーションという考え方のもと げいじゅつさいと鑑賞者をつなぐプログラムにげいじゅつさい全体で取り組みました

しかしながら 新型コロナウイルスの影響を考慮し やむなく中止となりました 残念ながら実現することはできませんでしたが 記録集とウェブサイトを制作しサイアフ2020の全容をまとめて公開しています

テーマ
Of Roots and Clouds<オブ ルーツ アンド クラウズ>ここで生きようとする Of Roots and Clouds英語 Sinrit/Niskur<シンリッ/ニㇱクㇽ>アイヌ語
ゲストディレクター
企画ディレクター現代アート担当/統括ディレクター 天野 太郎 企画ディレクターメディアアート担当 アグニエシュカクビツカジェドシェツカ コミュニケーションデザインディレクター 田村 かのこ
開催期間
2020年1にがつ19日2021年にがつ14日 / 58日間

企画ディレクター(現代アート担当)/統括ディレクター :天野 太郎, Photo by Hiroshi Ikeda

企画ディレクター(メディアアート担当) アグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカ, Photo by Zbigniew Kupisz

コミュニケーションデザインディレクター:田村 かのこ

サイアフ2020マトリクス

最先端の技術を活用して 幻のサイアフ2020をインターネット上に構築したウェブサイト

サイアフ TV

アーティストインタビューや特別プログラムをYouTube上で公開

統括ディレクター総括

天野太郎札幌国際げいじゅつさい2020 企画ディレクター現代アート担当/統括ディレクター

はじめに

札幌国際げいじゅつさい2020は 2020年しちがつ22日に中止の発表を行った 理由は 先の見えないコロナ禍が主なものだが 単に中止で終わるのではなく ここで示されているように その全容を詳にするという新たなミッションが加えられた 展示という最終的な形が示せなかったのは誠に残念な結果ではあるが 約2年を費やして準備された今回のげいじゅつさいが どのような内容で開催されようとしたのかを記録として残すことができるのは幸いなことだと考えている

何を特徴とするか

2018年に札幌国際げいじゅつさい以下 サイアフ実行委員会から 第3回のディレクターとしての要請があり それを受けることにしたのは いくつかこれまでにはなかった事項で実現したかったことがあったからだ

その主なもののひとつは 会場となる美術館などの組織に属する学芸員や研究者などの地元の専門家の参画を実現することだった サイアフは 初回からいわゆる主会場がないという条件で実施されてきた 札幌市の主催であるサイアフの会場として 市の施設札幌芸術の森美術館やモエレ沼公園などを活用すると同時に 市内のほっかいどうりつきんだいびじゅつかんなどの道の施設も使用することで展示面積を確保してきた経緯がある 一方で 道の施設についてはこれまでは会場を借用するかたちをとってきたので 所属の学芸員が企画から参画することはなかった

国内外のこうしたげいじゅつさいでは それを組織する専門的なスタッフを ディレクターも含め外部から起用する場合がどちらかといえば一般的だが それでは地元の関係者が当事者になり得なかったことを改善したかった 一担当者として国際展を組織化すること自体が 貴重な経験ともなるし そこで得たノウハウもまた地元に蓄積され 今後に生かせることもあるだろうという期待も込めてのことだった そのためにも 今回のサイアフのテーマに沿ったそれぞれの美術館のコレクションも重要な位置づけとし まさにその適任者として選ばれた分野に精通した専門家の参画は不可欠だった こうした枠組みそのものが 今回のサイアフの内容と密接な関係を持つことになった

ところで 美術館での展覧会とこうした国際展における展覧会の違いはどこにあるのか 会場が美術館であれば なおさらその違いについて考える必要があるだろう こうした国際展 あるいはビエンナーレ トリエンナーレの歴史は 1895年から始まったヴェネチアビエンナーレを嚆矢とする ヴェネチアでの会場は 美術館ではなく 2年に1回の展示を目的とした施設である これ以降 21世紀に至るまで 国内外でこうした国際展が組織され開催されているが その会場は 一時的な施設の場合もあれば 街中の空きスペースであったり 無論 美術館もその会場の役割を果たしてきた いずれにせよ 自己完結的な美術館の展覧会ではなく 国際展はその会場のみならず あるいはその主会場から街中のさまざまな施設を利用することで外に向けて増殖するようなイメージをもっている

統括ディレクターとして

今回のディレクターとしての役割は ディレクター間の調整を主とする統括としての役割と 美術fine art なかでも現代アー トを分野担当として展覧会を組織することにあった 担当の会場としては ほっかいどうりつきんだいびじゅつかん 北海道立三岸好太郎美術館 それからそうした機関外の施設や屋外の空間である

ディレクターの要請を受けたときに 全体の企画内容の骨子のひとつとして 北前船をキーワードにした北海道の歴史の見直しに取り組みたいと思った 1982年から1987年まで学芸員として在任したほっかいどうりつきんだいびじゅつかん時代に 当時 北海道大学の 教授現北海道大学名誉教授であった中野美代子氏の講演を聞く機会があり 日本の文化がともすれば東西江戸 あるいは東京と上方 あるいは京都 大阪で語られるなか 北前船を巡る交易による南北を基軸とした日本文化論についての見解が示され 意表を突かれたことがあった 長いあいだ気になっていた中野氏の視点について 改めて自分なりに解釈し それに基づくアーティスト選びを行うことにした また 北前船のみならず 南北 この場合 北海道と沖縄北海道の昆布などの北前船を前提とした交易は今日までも沖縄に繋がっているの関係 あるいは日本の歴史が 沖縄琉球王朝の歴史や アイヌの歴史も含め 実は極めて多層的であることも改めて再考の対象にしたかった

実際にこうした歴史的な視点を大きな文脈として想定しながら その卓越した表現によって近年注目を集めている藤戸竹喜のアイヌの人々をモチーフにした彫刻作品と 写実的な手法で絵画化している諏訪敦の特に舞踏家大野一雄を主題とした作品を同じ空間に展示する予定だった そこでは 期せずして 藤戸 諏訪 大野が出自こそ違え北海道生まれであることから想起される緩やかな関係性を鑑賞者に想像してもらいたかったからだ そして まずは優れた表現を優先しつつも 直接 間接にこの地との関係が見て取れるような物語を通底させたかった

初めての冬開催

こうした展覧会会場としての美術館とは別に 屋外 冬季の札幌のとりわけ雪のある景色の中でどういった作品を展示するか まさに3回目のサイアフの開催時期を冬に設定した理由を示す意味でも大きな課題となった 戦後すぐの1950年から始まったさっぽろ雪まつりと会期が重なることもあって サイアフ独自の取り組みが必要となった

下見調査の時期に 札幌市から紹介のあった施設の中から 札幌駅北側のバスターミナルの一角といっても地下にある融雪槽を訪れた すぐにアーティストは思い浮かばなかったが ほかにはない興味深い会場だった 雪深い札幌にあって それは生活にも影響する厄介なモノでもあり 除雪した雪を融雪処分する施設は 普段 札幌市民が目にすることのない場でもあり この機会にここを展示会場とするのは 冬の札幌を別の側面で見つめ直す契機にもなると考えた そこで アーティス トとして 上村洋一 小金沢健人にユニットを組んでもらい それぞれの得意とする分野を合わせながら 融雪槽の雪と水 その空間とさまざまに構成された音 そして光を組み合わせた新たな空間を形成しようとしていた

また 雪まつり会場に隣接する札幌市資料館旧札幌控訴院前庭で 村上慧が これまで一貫して取り組んできた新たな建築構造物と住居空間のプロジェクトの中から 街中にある広告看板のシステムを滞在可能な空間として再構成しようとした 自然の素材を使いながら今までにない暖房のシステムづくりを試み 広告塔で得た収入を滞在費用に還元しようとするものである

さらに街中では 西野達が 市内にあるさまざまなモニュメントを自らの作品として取り込みつつ それまであった見え方とはまったく違った事態を提示しようとしていた 最終案を絞り込む途中での中止決定だったが 意表を突くそのアイデアは とりわけ雪のある札幌に新たな風景が現れる予定だった
ここではさっぽろ雪まつりだけではなく 道内のさまざまな地域で雪を巡る取り組みがあるなか 美術に特化することで サイアフとしての特色を出そうとした

最後に

今回のサイアフが中止になった理由はさまざまあるが 個人的にはコロナ禍の収束が見えないことに加え 確実に社会が疲弊しつつあることが何よりの理由だったと感じている げいじゅつさいであるからこそ すべての人々に享受してもらわなければならないのは自明だが この自明の事態を醸成できないことが開催を困難にさせた 社会のどのような事態にあっても表現者の活動が止まることはないが それを享受するためには それを遮るものがない環境が必要だろう いつか 誰もが鑑賞に供するときが来ることを念じつつ 2023年のサイアフにバトンを渡したい