札幌国際芸術祭

「さっぽろコレクティブ・オーケストラ」は札幌国際芸術祭2017に向けて結成された実験的なオーケストラです。2016年より、さまざまな分野のゲスト講師が参加し、小学生から18歳までの参加者と共に複数回のワークショップを行ってきました。才能や能力、演奏技術や経験にかかわらず誰もが参加でき、一人ひとりの音を互いに尊重しながら演奏をつくりあげていくことが、このオーケストラの特徴です。

2017年6月24日に開催されたトークセッションでは、このオーケストラのコンダクターである大友良英と、演出協力で関わる藤田貴大とともに、あらためて「オーケストラってなんだ?」を考えました。

二人の出会いとなった福島での演劇公演『タイムライン』の創作の話から、演劇や音楽を超えた方法論、そして札幌国際芸術祭2017についてまで、広がりのあるトークとなりました。この日のトーク内容を公開いたします。


対談

大友良英(音楽家 / さっぽろコレクティブ・オーケストラ コンダクター)
藤田貴大(演劇作家 / さっぽろコレクティブ・オーケストラ 演出協力)

聞き手:有馬恵子

編集・構成:有馬恵子


福島で出会う

有馬 こんにちは。今日はよろしくおねがいします。大友良英さんと藤田貴大さんは、福島県で一般の中高生が参加するミュージカル『タイムライン』がきっかけで2015年に出会ったんですよね。私は制作を担当させてもらいました。今回は札幌国際芸術祭で、一般公募した子どもたちと『さっぽろコレクティブ・オーケストラ』という作品を進めているところです。今回のプロジェクトについてお二人がどのように考えているのか、話を進めていければと思っています。大友さん、藤田さん、よろしくお願いします。

大友 2015年に福島県から、ミュージカルをやってくれっていう依頼が、藤田さんと僕に同時に来たんですよね。僕はミュージカルなんかやったことなかったし、本音を言っちゃえば、さほどミュージカルに興味がなかったんです。でも受ける気になったのは、一つは福島出身だからっていう理由もあるんですけど、藤田さんが演出をやるっていうんで、僕は強い興味を持って、これは受けたほうがいいかなって思いました。

藤田 大友さんと初めて顔を合わせたとき、演劇が苦手なんだよねってところから話されたのでめっちゃ怖かったですけど(笑)。僕はもちろん『あまちゃん』の前から大友さんのファンでした。自分のCDを、リハーサルするスタジオに全部持ち歩いてるんですが、そのCDかごをあさってたら、もう大友さんの過去のCDがどんどん出てきますからね。大学時代から、ずっと聴いていて、ライブも行ったり。僕も、ミュージカルとか、そういうことの演出をしたいというよりは、大友さんって人と一緒に作りたいってことで、その仕事は引き受けて。始まったのは、2015年でした。

大友 丸2年前ですよね。しかもそれが、普通に、役者さんとか音楽家とやるっていう話じゃなくて、福島の中高校生と作るという話でした。単にミュージカルってだけじゃなくて、一般の人で、かつ中高校生ってのはあんまり経験したことなかったんですけども。藤田さんはどうでしたか?

藤田 僕も同じで、高校の演劇部に、1カ月ぐらいの講師として呼ばれて演出しに行ったことはあったんですけど、ああいう募集をして、作品として公演できる作品を作るのは、それが初めてでした。不思議なことに大友さんと僕って、どう作るかみたいな話はしていないですね。こういうプランニングで、こういう展開にしてとかっていうことを、お互いやらないんですよね。僕は演劇作家とか言いつつ、台本を書いてきたことがないんですよ。プロとやるときでも、その場で役者さんを目の前に、言葉を書くっていうことをしています。

その書いた言葉を口伝えで、せりふとして役者に与えてくっていう作業をしてたりして。だから、稽古初日とかリハーサルの初日には、全く白紙なんですよね。で、大友さんとやるに当たって、そういうところは緊張してたんだけど。大友さんの最初の音楽のワークショップ見たときに、これは一緒じゃないかと思ったんですよね。大友さんも楽譜っていうものを全く渡さずに、その日、なんか持ってきてって言った音を構成して、音楽を語り始めるっていう、ワークショップだったので。

その共通点が、僕は勝手にですけど強くあったので。シンパシーっていう言葉でも言えるぐらい、作り方が一致しているって思って、それで始めたので。あんまり作品をどうするかみたいな話は、具体的にはしてないと思ってるんですけど。

大友 僕、藤田さんとやる前から「演劇とやるの苦手」って、結構いろんな所で公言していて。一つには、音楽でいうスコアのような、もう最初からすごい決定版のような台本がやってきて、それに合わせて作っていくので。もちろんそのやり方、全然悪いと思ってないんだけど。僕自身は、あんまり面白いと思ってないんですよね。なので、そうじゃないやり方があるんだっていうのを、最初、藤田さんのやり方見てびっくりしたというか。藤田さんは台本が本当にないんですよ。オレの場合は、譜面がないっていっても、ワークショップの最初のうちはないけど、ときには途中で、譜面書いたり渡したりはすることもあるんだけど。

藤田 ないんですよね。最後の最後まで、多分ない。ほとんどないです。紙っていう媒体から、役者さんが言葉を言ってほしくないんですよね。直接的な音っていうレベルで、せりふも何も、言葉も全部やってほしいっていうのが、最初からあって。だから、紙になることの恐怖みたいなのが、むかしっから、僕の中であるんですよね。

大友 でも音楽はもちろん、いろんな作り方があるので。僕の場合で言うと、譜面書いてやってもらうときも、もちろんあるんだけども。一般の人っていうか、プロじゃない人とやるときにそれをやっちゃうと、この譜面を再現することに、みんな一生懸命なっちゃうので。そうすると、なんか違う感じは、やっぱしていて。それよりも今出た音で、ちゃんと次に転がしていきたい感じはあるかな。

全部認めるということ

藤田 福島の『タイムライン』は、演奏するのは中高生なんですけど、大友さんがその中高生のみんなに「自分で考えて」っていうことをいつも言うんですよね。で、大友さんが作った曲ももちろんあるんだけど、とにかく自分たちで作らせてましたよね、曲自体を。「自分で考えて」って言われたときに、みんな最初は、「え?」ていう表情をするんだけど。大友さんと関わってくと、全部が、考えなくちゃいけないことなんだってことに気付いてきて、自然と曲もできるようになってきてましたよね。あれってでも、なんなんでしょうかね。すごいレベル。

大友 例えばだけど、バンドで自分たちの曲作ってる子たちって、スタジオ入って自分たちでああでもないこうでもないって考えながらやってると思うんだけど、吹奏楽部とかだと、自分たちで考える以前に、ちゃんと譜面があって、先生がこうやるっていう方向に向かわないと、アンサンブルが成り立たないようにできてる。そのやり方が駄目っていう意味じゃ、全然ないんだけども。多分それに慣らされてきてる人に、いきなり「譜面ないから自分で考えて」って言っても、フリーズするだけというか、身動きが付かなくなっちゃうんですよね。でもそれ習慣で、慣れればできるもんなんです。本来の音楽って、譜面をただ再現するだけじゃないんです。確かに「自分で考えて」って、よく言ってましたよね。

藤田 なんか、その任せ方ってすごいなと思ったんですよね。やっぱり演劇って、さっき言ったように、口伝えでやっているとはいえ、結局、僕が与えることでもあるわけじゃないですか。だけど大友さんって、すごい変だなと思うところも、ここなんですけど。よくそこまで人に、いったん託せるなってところがあるんですよ。だから聞いてる限りだと、本当に、リズムのことと簡単なコードのことを、最初に大友さんがやるだけで。あとは、出てきたものを、こうしたほうがいいんじゃないとかはあるのかもしれないけど、結構託すじゃないですか。だから、そもそもの言葉を選んで人とやってる。子どもたちっていうよりも、実はものすごく、厳しい関係なんだなと思ったんです。出てきたものを、そのまま使うからって言ってるようなことだから。自由にやってって言ってるわけでもなくて、それそのまま、作品になるよっていうことを言ってるわけだから。ものすごく優しいようで、すごく厳しくもあるなと思って、いつも見てるんですけどね。

大友 そうですよね。それはでも、福島で藤田さんがやってる演劇にしても、来ようが休もうが自由じゃないですか。あれも、実はすごい厳しくて。絶対来ないと許さないよっていうほうが厳しく見えるけど、本当はそうじゃないよね。自分の意思でちゃんと来るかどうかっていうの、常に問われているような感じで。だから、音楽もそうなのかもしれない。ただそれは、結構、僕の中でも葛藤があって。そう言って、もし来なかった場合、このベーシストが来なきゃ、ベース誰が弾くんだとか。どっかで思ってはいる。

藤田 大友さんと福島でやってる作業だと、ある日、楽器持ってきてる子が1人しか来なくて。大友さんとその子が、もう、ゆずみたいになってた、2人で。

大友 (爆笑)そう、2人でギター弾いて、これだとあんまりだから「有馬さん、ごめん。ちょっと悪いけど、鍵盤ハーモニカ弾いて」なんて日もありましたね。ミュージカルなわけですから、本来ならこういう編成で、こういう音楽作りたいって、いくら僕でも考えますよ、普段は。だけど福島の場合は、来た子どもたちの楽器編成でやろうって決めたので、最初ギターだけしか来なかったときは、どうしようと思ったりとか。でも面白いもんで、そのうち役者がそろってくるんですよね。ドラマーが来たり、サックスを吹く子が来たりして、だんだんバンドのようになっていきました。

藤田 補足すると福島県って、結構大きい県なんですよ。それで、全部に募集かけるから、かなりの人数が来るときとか。また郡山でやってたときは結構来るけど、海沿いでやると、ちょっと遠いから来ないとか。

大友 例えばいわき市でやる場合、福島市から来るのに100キロくらいあるんですよ。北海道ならそうでもないのかもですが、本州で言うと、ものすごい遠い。しかもそれ、中学生、高校生が100キロの道のり来るってね。そんな簡単なことじゃないので、実際、結構欠席する子も多い。

藤田 多いですよね。で、そのときに、僕と大友さんの中で意識してたのが、欠席も出席も、全部認めるってことなんです。認めるためには、認めれる作品の構造を作るって話だったんですよね。だから、本番の前日に参加したいって言った子も、極端に言うと出演できるんですよ。僕と大友さんが福島で作ったミュージカルは、そういうことを考えてやってるんですよね。

大友 そう、そうなんですよ。来た人で考えるのは、僕も一般の人とやるとき、基本にしようと思っています。メンバーを公募すると一体どんな楽器が来るか、本当に想像できない。出てる音の中で、何をやるかっていうのを考えるのが、こっち側の役目かなって思ってる。

人が集まる場所と、音が集まる場所に、分け隔てはない

藤田 この『コレクティブ・オーケストラ』も、「普通」の演劇の作り方や、音楽の作り方を、いわゆる、普通にしようとしてる人たちには、伝えにくいんですよね。実は大友さんって、すごい変な人だなって思うところがある。一般の人たちを対象に、っていうことはあるかもしれないけど、この人は何とやってるのかなと、たまに思うときがあって。それは、音とか音楽とやってるのではなくて、ただ単純に音より、音を出せる人。だから音未満の、まず人と一回出会ってみて、やれること考えようよみたいなところが、なんかある。だから、オーケストラを作るっていうことでもあるかもしれないけど、今回は芸術祭のこともディレクターとしてつくっているわけで。人が集まる場所を、音が集まる場所と。あまり大友さんの中で、人が集まる場所と、音が集まる場所は、分け隔てがないんじゃないかなっていうところが不思議だし、なんでそうなったのかなってことは、僕はすごく、大友さんを観察してて。勉強になりつつ、本当に大変なことを、なんでこんなに、この人は選んでんだろうっていう、疑問に思う部分もあるんですよ。

大友 観察されてるんですね。でも最初からそうだったわけでは、全然ないんですよ。藤田さんって今いくつだっけ、30?

藤田 今年、32になりました。

大友 僕は32、33歳の年のときに、今回芸術祭でエクエクティブアドバイザーをやってくれている沼山良明さんの企画で札幌のミュージシャンたちを集めて、音楽を作ったことがあるんです。『ダブルオーケストラ』っていう名前で。それは、何やりたかったかというと、今みたいなとこまでは全然いってないんだけども、その場で集まった人で、指揮と即興で、何らかのことができんじゃないかと思ってて。だけどその時点では、一般の人とはもちろん思ってなくて、札幌で活動してる楽器ができる人とやってたんです。ただ手を振り下ろしてバンっていうサインとか、もうその頃からやりました。これって別にプロじゃなくてもできるなって、だんだん思うようになったんですよ。

本気でやったほうがいいかなと思ったのは、震災後に福島に入ったときでした。フェスティバルをやるってなったんですよ。福島市でね。東京からいっぱいいい音楽家が来て、それを福島の人が見ましたって構図になる。それもいいんだけど、震災後の福島って、毎日のようにコンサートがあるわけです。福島のこと心配してるミュージシャンたちが、もう手弁当でも来るから。人間って、こんなにコンサート聴かなくてもいいってぐらい。だったら福島の側でも、なんかオーケストラ作ろうって思ったんです。とはいえ、震災後でみんな大変だし、福島って東京みたいに、プロミュージシャンがいっぱいいるわけでもないので。誰でもいいから、集まってやろうよってなったとき、200人近く集まったのかな。集まった人だけで、なんかやれるぞって、だんだん思うようなった。それが札幌でもやっている、芸術祭の元になっていると、僕は思っています。

藤田 そうなんですね。

大友 バンって音出すなら誰でもできるんじゃないですか。このバンって音がバンバンってなったら、リズムができるしっていうんで、ちょっと僕が工夫してくと、これ別にプロじゃなくてもある人数がいれば、それなりの説得力あるもんができるぞって気がついたのは、実は震災が大きかった。

あとは、音遊びの会に参加したのも大きかった。音遊びの会は知的障害者の子ども達と音楽をやるグループなんだけど、その子たちはもうオレの指揮で全然やってくれないの。そういう中で、でもこれちょっと待てよ。楽器うまいわけじゃないけど、この子たちがやってる即興演奏、本当に面白いと思って。プロがやってるのよりも、はるかに自由だし、予想が付かないものが展開していくんですよ。それが例えば、CDとかになるような作品かって言われると、そんなことないんだけど、現場にいると面白い。さっき藤田さんが言ってた、音楽未満っていうか。だけど、そこの場が成立するっていうのはあるんだなと思って。無理して音楽にしなくても、ちゃんと場は成立して、祭りの空間のようになるのもあるんだって、だんだん分かりだしてきていました。ちゃんとした音楽作品を作るっていうのって、実は録音物を作りたいって欲望だったりとかして。実は音楽って、そういうもんではなくて、場を成立させることで、成り立つかもしれないって気付きになりました。

返答が長くなっちゃってますけど、そういうのを経た上で、ちょうど藤田さんと会いました。いいよ、何でもいいよ、出して、とにかく自分で考えてっていくまでには、20年くらいの歳月がかかっている。