札幌国際芸術祭

あの頃の自分に、今やってる自分の音楽を聴かせたい

大友 特に日本の場合は、さかのぼっちゃうと150年前に、ちょんまげを切った段階で、何とか西洋化しなきゃいけないって思ったわけですよ。そのときに音楽教育の原型が始まって。何をやったかっていったら、まず、日本にもともとある音楽を、音楽と呼ばないんですよ。三味線とか、いろいろいっぱいあったはずだけど、そういうものを教えるんじゃなくて、バイオリンを教える。あるいは、ウィーン少年合唱団のように歌うとかっていう日本人の体になかったものを入れちゃったもんで、すごいどっかで無理があって。とはいえ、今はもうこんだけ西洋化してきて、普通に僕ら、逆に日本の音楽やれって言われると、日本の音楽が外国語みたいになっちゃってますけどね。頑張って努力した人に対しては申し訳ないけど、音楽の取り入れ方の最初の段階で、どっかですごい狂いがあって。それが今に至るまで、ずっと、ひずみとして残ってるような気がしています。僕、別に教育を何とかしたいってわけじゃないんですけど。

もっと言っちゃうと、この芸術祭に関して「芸術祭ってなんだ」って言い方してますけど、芸術っていうこと自体も、それと近いと思っててもともと日本になかった概念だと思う。日本には芸事って概念とか、華道とかって、道って概念はあったかもしんないけど、芸術ってかなり西洋的な概念で。

藤田 そうですね。

大友 それをやることで西洋化してくって気持ちが、どっかにあった中で、芸術ってもんが、日本に取り入れられてるひずみが、やっぱりどっかにあって。だから芸術祭も、こうあらねばっていうのが、どっかに見本としてあると思うんだけど。いいんじゃないの、そっちじゃなくてっていう。今、自分たちのリアリティの中でやってく場合、どうしてったらいいかってとこから、始めたいっていう気持ちがすごくあって。だから『コレクティブ・オーケストラ』で、集まった人たちでやるって言ってるのと、僕、全く同じような気持ちで、芸術祭もあればいいなと。

藤田 だから、さっきも僕も言ったように、大友さんはそこがフラットなんですよね。芸術祭をやるっていうことに対しての疑いもありつつ、そこに来た人たちと考えるし、『コレクティブ・オーケストラ』では、持ってきてくれた何でもいいから、音があれば何かできるからって言う。人が集まった所、人が集まって何かするってことを、大友さんはものすごく、人一倍、信じてるんだと思うんですけど。音であれ人であれ、フラットなんすよ。それがやっぱり僕は、不思議なところだし、リスペクトしてるとこだなって思ってますね。あと、大友さんと話してると、10代の頃「音痴だ」って言われたりしたことがかならず出てきます。そういうことって普通の人だったら、笑い話になるじゃないですか。

大友 いや、オレも笑い話にしてるつもりだよ(笑)。

藤田 だけど、それを話すときの目がマジだから(笑)。この人、本当にトラウマなんだなっていうか。そこが納得いかずにこの年齢まで来てるって、すごいことだよ。多分普通に、うちのおやじとかだったら、普通に笑い話だと思うんですよ。ただ、本当にこの人って、そのことがかなり残ってしまっているんだなと思って。福島で過ごしたときの年齢で、止まってる部分が、大友さんはあるかもしれない。あのとき、なんであの教師たちは、オレにそれを言ったんだっていうことが。

大友 そう。

藤田 多分、昨日のことのように憶えてる部分があるから、こういうことをやってるんだなって思って。大友さんがあるときに「あの頃の自分に見せたい」とか「あの頃の自分に、今やってる自分の音楽を聴かせたい」っていうことを、ポロっと言ったときがあったんですよね。福島っていうことに対してもそうかもしれないけど、多分、そのことがあるから、音楽っていうものを、今こういうふうに捉え直してるんだと思いますよ。その言葉を聞いたあのときに、大友さんマジだなと思って。

大友 恥ずかしいね。

藤田 でもあのときの大友さんの表情は僕は一生忘れないんだろうな。

大友 いや、だから福島帰りたくなかったんです。本当にトラウマ地帯なんですよ。

福島から札幌へ、札幌から福島へ 『まれびと』の大切さ

有馬 福島では藤田さんが演劇作家としてプロジェクトを引っ張って、そこに大友さんが入るという形でやれたっていうことが、すごく大友さんにとっても良かったんだと思うんですね。逆に今回、北海道は藤田さんの出身地なんです。

大友 そうだ、そういえば今回は逆になってんだ。藤田さんが北海道出身で、その北海道でやる。

藤田 そうです。僕、18まで、伊達市っていう本当に何にもない町で育ちました。ただ演劇はやってて、でも観劇できるのは富良野塾と、たまに来る劇団四季だけ。そういう謎の状況でしたね。

大友 いろいろ今、怨念っぽい言葉が出た(笑)。

藤田 その演劇の内容に対して、何か言いたいわけではもちろんなくて、もちろん素晴らしかったんです。ただ僕と同い年の東京に住んでる人たちのように、演劇やれてるわけじゃないじゃないですか。だから、ものすごいコンプレックスがあって。もう早くこの町から出たいと思って、東京に出てったんです。大友さんとはまた違うかもしれないけど、どこかであの頃の自分に恥じないように、自分が今演劇作れてるかとか、音楽作れてるかみたいな感覚って、あるんだと思うんですよ。あとやっぱり、北海道に帰って表現をするって、なんか嫌でしたよね。伊達ではやったことあったけど、札幌は全く初めてで。北海道出身の僕があえて札幌でやるって、意味が付いちゃうじゃないですか。そういうふうにかっこつけることができるし。そういうのにすごい生理的な部分で抵抗感があって。だけど大友さんが、こういうふうに全く違う企画で、僕のことを誘ってくれたから、やっと札幌で公演をやってもいいかなっていうふうに思えました。

大友 オレ、自分は福島でやることって、いろんな葛藤があるけど、そんなことは置いて北海道出身の藤田さんに札幌でやってよって、人のことだと言えるんだよね。だからやっぱり、よそ者とか他者って絶対必要で、ずっとその中だけにいると、身動きが付かなくなる。他者っていうか、『まれびと』って言ったらいいのかな。言い方はいろいろあると思うんだけど。

芸術家だけを呼んで、芸術祭をやろうとしてない

藤田 大友さんが今ここで作業してくれてるから、僕も来ようかなって気になりました。こういう場所を作る人の元に、僕も引き寄せられるように行ったら、偶然、北海道だった。ちょっと怖いけど、また北海道と関わり直してもいいかなって気持ちになれた。そういうことって、実はものすごく大切なこと。札幌国際芸術祭が、ゲストディレクターに大友さんを選んでくれたことで、一人一人がそういう想いで来ている。大友さんだから、この芸術祭に関わろうとかって。それは大友さんが、いわゆる芸術家だけを呼んで、芸術祭をやろうとしてないからだと思うんですよ。大友さんっていうのは、アーティストの藤田とか、アーティストの誰々を呼んでますっていう態度じゃないんですよね。人として話せるかどうかとか、そういうレベルで大友さんって多分人とやる人なんですよね。だから、作家として関わろうとかじゃなくて、大友さんまたなんか、変なことやろうとしてるな、みたいなノリで、今日だって飛行機に乗れちゃうんですよ。伝わりづらいかもしないけど、でもすごく大切なことだと思うんですよね。

大友 藤田さんと僕が大切に思っているものと同じだったりするので。ちょっと伝わりにくいかもしんないんだけど、そこはすごく重要で。例えば、音楽の技術が優れた人にコレクティブ・オーケストラに来てもらって、なんかやってもらうってことだって、もちろんできるけど。こうしたらああなるよねっていうアドバイスが欲しいんじゃなくて。

藤田 何を面白がるかみたいなところだと思うんですよね。僕のことも面白がってくれてるから、僕も呼ばれてるんだと思うんだけど。僕は、参加した子どもたちと同じレベルで来てるんですよね。子どもたちもすごい楽しそうじゃないですか。その姿自体が、ものすごいかっこいいなって思うんですよね。大友さんはひとりひとりの良さを引き出して瞬発的にその場で編集してくから、音楽にもなると思うんですよね。ペットボトルの音一つ取っても、そこでもう編集されてるから、大友さんのなかで。

配置を変えるだけで、音楽がガラっと変わる

大友 さっきの歩く話にもつながりますが、基本的な音楽の技術は、誰でもあるんです。技術のない人なんかいないんですよ。もちろん、ベートーベンの曲弾く技術があるかっていったらないですよ、訓練した人じゃないと無理。だけど、例えば野球の応援の『かっ飛ばせ、何とか』って、誰でもできるでしょ。それってものすごく音楽的なことというか、かなりっ複雑な音楽をやってるんですよ、実は。ただ音楽って思ってないだけで。絶対に合唱団じゃ再現できない。だって全員、音程が違うんだもん。すごいですよ、全員音程が違う声が束になるって。あんなの、意図したってできないもの。複雑で面白いことを、人間って本当はできるんですよ。だから伸び伸びとやれるようにできるかどうかってのは、今度はこっちの裁量にかかってくる。

藤田 そうですね。さっき編集って言っちゃったけど、それを大友さんは多分、音楽だけに求めてるんじゃなくて。僕も演劇ってものを作ってるけど、演劇的に、それは間が悪いとか、その展開は多分逆のほうがいいとか。そういう提案が多分、大友さんにできるっていうふうには思ってるんですけど。そういう舞台を作るとか、何か作品を作るってレベルでは、音楽も、多分演劇も、あんまり隔てて僕も大友さんも考えてないから。

大友 考えてないっていうか、結構、共通してるなって思う。

藤田 そうですよね。演劇も、音楽のライブのセットリストのように、あったほうがいいっていうふうに思ってるし。音楽も音楽で、感情だけで曲を並べるのではなくて、すごく構成がされてたほうが、その曲がきれいになるとかもあると思うし。そこが、多分うまくかみ合ったら、もうパーフェクトですよね。

大友 そうですね。福島でそのミュージカル作ってるとき、藤田さんって結構、配置を絶妙に。この椅子をこっちに動かすとか、この人とこの人はこう位置するっていう。ただ位置付けを変えるだけで、生き生きしたりするじゃないですか。全く同じことやってるのに。音楽もやっぱり、ただこっちの人をこっちに座らすだけで全然違う、全然変わったりするんですよね。その配置って結構重要で、オーケストラって、もう長年の歴史であの配置ができてるんだけど。本当はあれ、いじくったら面白いんですよ。曲に応じて。いじくってる人も、実はいっぱいいる。武満徹さんなんかも随分、配置変えたりしてるので。あれ配置変えるだけで、音楽がガラっと変わるので。藤田さんの演劇のやり方見てて、そうだよなっていつも思う。