会場
札幌市民交流プラザ
幻のメディアアート作品がアジア初上陸!
札幌市民交流プラザはSIAF2020の入り口となる会場です。ここでは周囲の音に反応するコンピューター制御の大型作品《Senster》を展示します。《Senster》は1960年代終わりに制作されましたが、40年以上、行方不明になっていました。近年発見・修復され、このたびSIAF2020にてアジア初公開!また、国内外からの先鋭的なパフォーマンス作品も紹介します。
モエレ沼公園
広大な白銀の世界に包まれる体験型の作品たち
モエレ沼公園では、roots(根、ルーツ)とclouds(雲、クラウド)の間の人間の活動を異なる視点から覗きます。ガラスのピラミッドや、貯雪庫(冷房用の雪を保管する倉庫)での展示のほか、モエレ山などでは冬ならではの屋外プロジェクトを展開します。気候変動などの地球の危機的な状況は作品を通すとどのように見えるでしょうか。
また、この会場では日本・ニューヨークで先駆的な作品を発表しながら2015年に急逝した三上晴子の作品《欲望のコード》を展示します。三上は、現在も多くのアーティストに影響を与え続けています。本作は、作家の意思を受け継いだ専門チームにより修復、新しい技術によって更新されたものです。この最新バーションは、世界初展示となります。
札幌芸術の森
芸術あふれる森でメディアアートに出会う
札幌芸術の森では、特にメディアアートに焦点を当て、日常的に使用する携帯電話やパソコンの画面に隠された見えない実態を明らかにします。例えば、インターネットは雲(クラウド)のように重量を持たず空に浮かんでいるものと想像しがちですが、実際は世界のどこかに巨大なデータサーバーが存在しているのです。この会場は、急速な技術的進歩や、アート、科学、テクノロジーについて考える手がかりとなるでしょう。また、工芸館では、子どもも楽しめるプログラムを予定しています。
北海道立近代美術館
過去と現在、名作と新作が夢の共演!
札幌・北海道の文化醸成に寄与してきた北海道立近代美術館はテーマ「Of Roots and Clouds:ここで生きようとする」を端的に表現する会場の一つです。北海道の歴史や地理、環境、文化など、影響し合うさまざまな繋がりを改めて見つめ直します。道内作家等のコレクションが、現代アートの作品群と渾然としながら共鳴しあう構成となります。このようなかたちで同館所蔵のコレクション作品と芸術祭とが融合するのは初の試みです。
mima 北海道立三岸好太郎美術館
キーワードは「31歳」。その理由は・・・
mima 北海道立三岸好太郎美術館では、三岸好太郎がこの世を去った「31歳」という年齢に着目し、北海道ゆかりの作家をはじめ、アーティストたちが31歳の時に制作した作品を三岸作品とともに展示します。現在活躍するアーティストの、青山悟、原良介が発案し、自らも作家として参加する企画です。
札幌市資料館
文化財を舞台に毎日「実験」が繰り広げられる!?
札幌市有形文化財の札幌市資料館には、「Of Roots and Clouds:ここで生きようとする」の実践に挑む作家が集い、新作を発表します。館内と屋外が会場となり、持続可能な社会をテーマの一つとして取り扱う作品や、資料館の歴史に着目した作品などが展開されます。また、冬季の会期中に同館前庭で生活を試みるという実験的なプロジェクトも予定しています。
札幌大通地下ギャラリー 500m美術館
あなたも作品に?たくさんの人・物が登場する巨大絵巻
札幌大通地下ギャラリー500m美術館では、会場の特性を生かしたクラウス・ポビッツァーによる特大のパノラマドローイング作品の展示を予定しています。この作品には、札幌市民や歴史的な人物、ポップスター、政治家、ロボットなど、歴史と現在、真実と虚構が入り混じったポートレートが登場します。インターネットでさまざまな情報が氾濫している今の世の中で、何が本物なのか、何が真実と言えるのかを改めて問いかけます。
アーティスト
Re:Senster
Re:Senster(リ・センスター)はクラクフ(ポーランド)にあるAGH科学技術大学による、大型サイバネティック彫刻作品《Senster》の修復プロジェクト。《Senster》はポーランド出身でロンドンを拠点とした彫刻家エドワード・イナトビッチの作品。1968年に制作されたメディアアート史に残る名作の一つである。この作品は全長5mの鋼製キネティック・スカルプチャー(動く彫刻)で、周囲の音や動きに反応する姿は動物のようにも見える。イナトビッチは、当時、最先端のロボット工学や人工知能の技術を活用し、コンピューターで動きを制御する作品を制作した。
1970年、《Senster》はオランダの都市、アイントホーフェンのエフォルオン・パビリオンで展示されたが、その数年後行方不明になっていた。しかしながらその画期的な試みは、メディアアートのパイオニア作品の一つとして、多くのアーティストや研究者にインスピレーションを与え続けた。
AGH科学技術大学で修復された《Senster》は非常に繊細なため、修復後も特別なイベント以外は持ち出さず、大学で管理・保管されている。2019年、ヴロツワフ(ポーランド)でのWROメディアアートビエンナーレ2019で初めて展示され、SIAF2020での展示はアジア初公開となる。
AGH科学技術大学
1919年の設立以来、大学の研究対象は電子工学、ロボット・コンピューター科学へと徐々に拡大している。《Senster》の修復プロジェクトRe:Sensterを始めた人文学部は、最も新しい学部。
Senster
《Senster》の歴史1968年 彫刻家・エドワード・イナトビッチはフィリップス社がスポンサーとなった実験的プログラムの枠組みの中で大型キネティック彫刻《Senster》の制作を開始
1969年 1/4サイズの模型を試作。イナトビッチはユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の研究室に移り、学術会員の協力を得て、最終版の制作に取り組む
1970年6月 オランダのエフォルオン・パビリオン(フィリップス社の科学技術展示館)にて展示
1974年 解体された《Senster》を、フィリップス社と協働していた電気技師兼起業家のPiet Verbourgh氏が回収、その後行方不明に
2014年 衛星画像でコレインスプラート(オランダ)に《Senster》を発見 専門家などによるプロジェクト、Re:SensterがAGH科学技術大学にて発足
2017年 クラクフ(ポーランド)に移設され、修復作業を開始
2018年10月 修復を完了した《Senster》がAGH科学技術大学に設置される
2019年 WROメディアアートビエンナーレ2019(ポーランド)で初めて一般公開
2020年 SIAF2020においてアジア初公開
Cod.Actコッド・アクト
アンドレ・デコステール1967年、ル・ロックル(スイス)生まれ。ラ・ショー=ド=フォン(スイス)を拠点に活動。
ミシェル・デコステール
1969年、ル・ロックル(スイス)生まれ。ラ・ショー=ド=フォン(スイス)を拠点に活動。
スイス出身兄弟によるアーティスト・デュオ。1997年結成。
アンドレはスイスでオルガン製造見習いとして修行した後、1995年にローザンヌ(スイス)の音楽学校を卒業。音楽アプリケーションのコンピュータープログラミングに特化したミュージシャン兼作曲家。電気音響および現代音楽、特にアルゴリズム作曲に特化した作曲システムを研究している。
ミシェルはビール工科大学(スイス)で建築学の学位を取得。造形作家である彼は、写真作品から活動を開始し、光と半透明の素材を用いて動画を生成するキネティック装置を制作。その後映像の分野を離れ、材料工学と機械学の分野で知見を磨く。機械の中でも特にその動きに着目しながら造形研究を行い、キネティック彫刻を制作する。
codact.ch
《πTon》2017
巨大なゴムチューブが、合成された人の声に反応し、まるで生き物のようにうねりながら動くサウンドインスタレーション作品。音と奇妙な動きが複雑に絡み合う様子は、観客に何が有機的で何が人工的なのかを問いかける。三上 晴子
1984年から情報社会と身体をテーマとした大規模なインスタレーション作品を発表。1992年から2000年までニューヨークを拠点に主にヨーロッパとアメリカで数多くの作品を発表する。1995年からは知覚によるインターフェイスを中心としたインタラクティブ作品を発表。視線入力による作品、聴覚と身体内音による作品、触覚による三次元認識の作品、重力を第6の知覚と捉えた作品などがある。国内外の美術館、メディア・アート・フェスティバルに多数出品。多摩美術大学にて教鞭をとる。2015年没。《欲望のコード》2010
三つの要素で構成される大規模な体験型のインスタレーション作品。鑑賞者は、ロボットアームや壁面に大量に設置された装置に監視され、撮影される。その映像と、インターネット上にある世界各地の公共空間の監視カメラの映像とが混ざり合い、スクリーンに映し出され、新たな現実を描き出す。ジュリアン・シャリエール
1987年、モルジュ(スイス)生まれ。ベルリン(ドイツ)を拠点に活動。環境科学と文化史をつなぐ作品を制作。パフォーマンス、彫刻、写真、映像など、さまざまなメディアを用いたプロジェクトは、火山、氷原、放射性地域などの地球物理学的に特徴ある場所でのフィールドワークから生まれる。これらの作品は近代的な意味での「自然」のつくられ方を探求するもので、そこでは地質学的な時間感覚と人間の時間感覚が拮抗する。それはグローバル化時代における欲望の神話とその対象を反映するものでもある。一見不変に思えるものを現代の尺度に当てはめ、神秘的なものと物質の境界線に介入することで、人と場の危険な関係を内包していく。第57回ベネチアビエンナーレ(2017、イタリア)他、世界中の美術館、施設で作品を発表している。
julian-charriere.net
《Towards No Earthly Pole》 2019
氷河地帯を舞台に環境について物語る映像作品。人類の活動は、一見、別世界のような場所にまで変化を刻み込んでいる。ドローンが映し出す夜の闇に包まれた風景は、現実と幻想の狭間のようにも見える。約600㎡の面積をもつガラスのピラミッド貯雪庫で大規模な映像インスタレーションとして展開する。中﨑 透
1976年、茨城県生まれ。同地を拠点に活動。美術家。武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程満期単位取得退学。言葉やイメージといった共通認識の中に生じるズレをテーマに自然体でゆるやかな手法を使って、看板をモチーフとした作品をはじめ、パフォーマンス、映像、インスタレーションなど、形式を特定せず制作を展開している。展覧会多数。2006年末より「Nadegata Instant Party」を結成し、ユニットとしても活動。2007年末より「遊戯室(中﨑透+遠藤水城)」を設立し、運営に携わる。2011年よりプロジェクトFUKUSHIMA!に参加、主に美術部門のディレクションを担当。
https://tohru51.exblog.jp/
とりあえずそんなことを掲げてみる。札幌での冬の生活で切り離すことのできない雪との付き合い方の一端を可視化するような試み。いろんな人に相談しながら、思ってもないアイデアや謎の好奇心を寄せ集めておおよそスキー場なんて呼べない不思議な場所が立ち上がるといい。(中﨑透)
持田 敦子
1989年、東京都生まれ。同地を拠点に活動。2018年、東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻修了。同年、バウハウス大学ワイマール大学院 Public Art and New Artistic Strategies修了。平成30年度 ポーラ美術振興財団在外研修員としてドイツ、シンガポールにて研修。プライベートとパブリックの境界にゆらぎを与えるように、既存の空間や建物に、壁面や階段などの仮設性と異物感の強い要素を挿入し空間の意味や質を変容させることを得意とする。
atsukomochida.jp
スザンヌ・トレイスター
1958年ロンドン(イギリス)生まれ。ロンドンとピレネー(フランス)を拠点に活動。1990年代初めのニューメディア領域における先駆者で、ビデオ、インターネット、インタラクティブ・テクノロジー、写真、ドローイング、水彩画など多岐に活躍。1988年にビデオゲームに関する作品を制作。1992年にバーチャル・リアリティー、1993年にソフトウェアを開発、1995年には最初のウェブプロジェクトを開始し、インタラクティブCD-ROMのテーマであるタイム・トラベル・アバターを発明。数年にまたがるプロジェクトを数多く展開し、奇抜な物語や型にはまらない研究に取り組む。現在は、新しい技術、社会、オルタナティブな信念、人類の未来、これらの関係性に着目している。
www.suzannetreister.net
《The Holographic Universe Theory Of Art History [THUTOAH]》2018
宇宙全体は二次元の平面に描かれた広大で複雑なホログラムであるとするホログラフィック原理を考察する映像作品。この原理は1990年代にはじめて提唱されたもので、私たちの3次元の現実(および時間)を構成する全ての情報は2次元の表面に蓄えられていることを示す。本作でトレイスターは「美術史的な背景や原則を超えて、アーティストは宇宙のホログラフィックな性質を表現しようと無意識に試みてきたのではないか」という仮説を立てている。キャロリン・リブル& ニコラス・シュミットプフェーラー
キャロリン・リーブル1989年、リヒテンフェルス(ドイツ)生まれ。オッフェンバッハ・アム・マイン(ドイツ)を拠点に活動。
ニコラス・シュミットプフェーラー
1987年、ギーセン(ドイツ)生まれ。オッフェンバッハ・アム・マイン(ドイツ)を拠点に活動。
アーティスト・デュオとして2012年より活動開始。2017年、共にオッフェンバッハ・アム・マイン造形大学卒業。2018年、三度目となる個展「WIR|ES」を開催。2019年、9名のアーティストと共同スタジオを設立。多様なジャンルのアーティストの制作や実践的な交流の場となっている。彫刻、キネティック、ロボット、インスタレーションなどの要素を含む彼らの作品は、テクノロジーの発展が、人間とそれ以外の生き物の美的・社会的側面にどのような影響を与えるのかというテーマを扱っている。作品の「素材」であるテクノロジーは、社会の慣習をつくるものであり、作品の題材でもある。エネルギーを多様に表現した彼らの作品は、電気エネルギーの性質とそれに関連する人間の自己認識を分析する。
www.radiate.fish
《Vincent and Emily》2018
「ヴィンセント」「エミリー」と名付けられた2台のロボットからなるインスタレーション作品。ロボットたちには光学センサーが備えられており、お互いの位置を探す行動をとる。ただし、パートナーからの信号と周囲の環境からの信号を常に区別できる訳ではなく、2台の間に予測できない相互作用と交流が生まれる様は、人間の行動パターンと類似している。一原 有徳Arinori Ichihara
1910年、徳島県生まれ。2010年没。1913年に北海道真狩村に移住し、小学校卒業後、北海道小樽市に移った。41歳を前に油彩画を描き始め、やがてパレット代わりの石版石に残った絵具の跡にインスピレーションを得て、モノタイプ版画に取り組む。
東京の公募展に発表した作品が美術評論家で神奈川県立近代美術館長の土方定一に注目され、1960年代に入ると国内外の多くの版画展に参加した。また、版面を道具で傷つけたり自然劣化させるなどした金属凹版、刷りと自然物や人工物とを組み合わせたオブジェなど、旺盛な実験精神によって自らの版表現の領域を拡大していった。北海道における登山家、俳人としても足跡を残す。死去の翌年、市立小樽美術館に一原有徳記念ホールがオープン。
《SON・ZON》1960-1979
一原有徳のモノタイプは、石版石や金属版に均一に塗布したインクをスクレイパーで掻き落とし、プレス機で刷りとる手法による。硬質な版面に働きかける膨大な手の行為にも、転写にも、無意識や偶然性が宿り、作者自身の意図を超えた世界が抽象的なイメージとなって現れる。70歳代から89歳代前半にかけて、一原有徳は複数枚のモノタイプをつなげた大サイズの作品制作に取り組んでおり、《SON・ZON》はその第一作にあたる。神田 日勝
1937年、東京都生まれ。1970年没。1945年、一家は国策による戦災者集団帰農計画拓北農兵隊に加わり、北海道鹿追町に移住して農地開拓に従事。鹿追中学校時代に兄・一明の影響で油絵を描き始める。中学校卒業後、営農を継ぐ。傍らで油絵の制作を続け、北海道内や国内の公募展に出品を重ねた。身近な農耕馬、牛、労働者の姿を、緻密な観察に基づき克明に描写したモノクローム調の初期作品から、色彩豊かな室内画、表現主義的な群像、そしてリアリズムへの回帰と作風を変遷させ、32歳で急逝。1978年、北海道立近代美術館が開催した回顧展によって注目と評価が高まり、1993年、鹿追町立神田日勝記念館(現・神田日勝記念美術館)が開館。
《室内風景》1970
生前最後の発表作。壁や人物、雑然と置かれた日用品といった要素の克明な描写と質感の表現は触覚に訴えるほどリアルだが、現実の空間に位置を占める物としての存在感は希薄だ。自身の生活と体質を根拠に、写実描写によるリアリティーの付与とその剥ぎ取りをもくろんで、具象絵画における人間表現の可能性を探った一点。後藤 拓朗
1982年、山形県生まれ。同地を拠点に活動。東北芸術工科大学で絵画を学ぶ。山形県内の廃集落や廃屋を描いた風景画や、近代土木・産業遺構を背景に古代ギリシャ彫刻を模したポーズをとる人物を描いた油彩画などを制作。西洋を模倣しながらも西洋人とは程遠い身体をもつ現代日本人が、かつて支配下に置いていた自然界から領土を侵食・奪還されている最前線の状況を描く。このような制作を通じて、郷愁や異国情緒や理想郷としてではなく、経済の衰退や政治政策によって翻弄され、変容を余儀なくされている郷土の姿を見つめ、現代における郷土風景画のあり方を模索している。
www.takurogoto.com
大槌 秀樹
1981年、千葉県生まれ。山形を拠点に活動。空洞化した中心市街地や、東北に存在する消滅集落、廃村、鉱山を舞台に、その変化せざるを得なかった、環境や自然に介入した行為を記録。行為から生まれる事象を映像や写真、パフォーマンスなどで表現している。
近年では《神格化》をテーマに、自然と共に生きる術を神々と共に生きる事と捉え、制作を行っている。
https://www.zuchimekko.com
青山 悟
1973年、東京生まれ。同地を拠点に活動。ロンドン・ゴールドスミスカレッジのテキスタイル学科を1998年卒業、2001年にシカゴ美術館附属美術大学で美術学修士号を取得。工業用ミシンを用い、近代化以降、変容し続ける人間性や労働の価値を問い続けながら、刺繍というメディアの枠を拡張させる作品を数々発表している。また、2018年より青山悟、竹林陽一、原良介によるアートレクチャー、ワークショップシリーズを開始。
satoru-aoyama.com
《東京の朝》2005
《東京の朝》は、2005年、青山が31歳の時に長年住んでいた英国から日本に帰国するタイミングで制作された作品。この頃作られた一連の風景画シリーズは、後に作者本人から「ホームシック・シリーズ」と呼ばれ、ミシン刺繍で再現される夕暮の空の表現など、叙情と人間の手仕事性が強調されている。原 良介
1975年、神奈川生まれ。神奈川を拠点に活動。画家。2000年多摩美術大学美術学部絵画学科卒業、2002年多摩美術大学大学院美術研究科修了。「トーキョーワンダーウォール公募2001」大賞受賞。2013年〜2017年多摩美術大学美術学部絵画学科非常勤講師。2018年より青山悟、竹林陽一、原良介によるアートレクチャー、ワークショップシリーズを開始。作品のテーマは「人と自然」の二次元化。
https://ryosukehara.com
《sprout drawing》2006
原が31歳当時に制作したものの中からこの作品を選出。2006年、コマーシャルギャラリーデビューとなる個展に出品したもの。さらに公のコレクションに初めて入った作品でもある。失敗した絵を裏返してリネン地にそのまま落書きのように描いた作品で、作家活動における一つの起点となった作品。三岸 好太郎
1903年、札幌生まれ。1934年没。旧制中学校卒業後、画家を志して上京。さまざまな仕事に就きながら絵を描き続け、1923年、第1回春陽会展に入選を果たす。素朴派風から、岸田劉生らの草土社風、そして東洋趣味へと作風の変化を示した後、1926年の中国旅行で立ち寄った上海で西洋人のサーカスに関心を持ったことをきっかけに、道化をテーマとした連作に取り組む。1930年、独立展創立に参加。間もなく一転して前衛的表現に傾き、ひっかき線による表現、幾何学的抽象、蝶と貝殻をモチーフにしたシュルレアリスム的な絵画などを次々と発表。さらに、モダンなアトレの建築に着手するが、完成を見ることなく急逝した。
《飛ぶ蝶》1934
《飛ぶ蝶》は、三岸好太郎のシュルレアリスム時代を代表する一点。白い壁にピンで留められた六頭の蝶のうち、右上の一頭がピンを逃れて飛び立つ。この幻想的なイメージは、自作の詩「蝶ト貝殻(視覚詩)」の中にも現れており、そこで彼は飛び出すことを「自由」とたたえた。プシェミスワフ・ヤシャルスキ
1970年、ポズナン(ポーランド)生まれ。同地を拠点に活動。インタラクティブインスタレーション、オブジェ、ドローイング、写真などの多様な形態で作品を制作し、アートと科学技術を融合させる。緻密な計画と科学的なリサーチのもと、批評的でコンセプチュアルな内容にフォーカスし制作に取り組む。その作品は、時に実験的で、不愉快に感じられるような問いをも投げかける。作品の多くは日常生活における習慣を扱ったもので、現代社会で生きることにより凝り固まった現代人の想像力や知恵を解放する。現実世界の捉え方を変容させてみせることで、鑑賞者は新鮮な視点で現実に向き合うことが可能になる。それらの作品はしばしば、一般的には不可能、無駄、もしくは非効率的とされる行為を伴い、常にある種の批判的なユーモアが含まれている。
http://www.jasielski.com/
《Global Warming Control Unit》2010
札幌控訴院として建てられた札幌市資料館の歴史をリサーチし、この場所ならではの作品を制作する。作品を通すと、鑑賞者は自らの行動が法律上どのような結末を招くのかを知ることができるような装置を構想中。ライナー・プロハスカ
1966年オーストリア生まれ。ウィーン(オーストリア)を拠点に活動。日常の物や現象に目を向け、ユーモアたっぷりにアートの世界に落とし込んだ作品を制作。2002年からは、アートを通して生態学とサステナビリティー(持続可能性)に関する問題を提起するプロジェクトに取り組む。ドナウ川に関するアートプロジェクトに加え、北京、上海、香港、モスクワや、クラクフ(ポーランド)のモクアク美術館、ロサンゼルスのMAKセンター、トロントのルミナトフェスティバル、クリーブランドのトランスフォーマーステーション、ウィーンのアルベルティーナ美術館で展覧会やプロジェクトを実施。
www.rainer-prohaska.net
《Unplugger》 2002–2019
私たちの社会における「人間のくらしと生存条件」の発展に能動的に取り組む持続可能な社会的・環境的活動は、世界的な目標として掲げられている。プロハスカによる持続可能な社会を創造するための芸術研究所「FUTURAMA LAB」は、この世界的課題を念頭に、いくつもの場にまたがるインスタレーション作品を制作予定。「明日」という概念を、「芸術的なオフィス」「教育キャンプ」「古典的な展覧会」といったキーワードをもとに展開していく。村上 慧
1988年、東京生まれ。同地を拠点に活動。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。内省を反転させて社会的なアクションに変換する方法を探っている。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店、2019年)及び『家を せおって 歩いた』(夕書房、2017年)がある。2017年文化庁新進芸術家海外派遣制度によりオレブロ(スウェーデン)に滞在。
http://satoshimurakami.net
《広告看板の家》スタディ模型2019
出展予定作《広告看板の家》のスタディ模型。中に居室を設け、札幌国際芸術祭およびスポンサーからの資金と、土と雪と看板の力を使って芸術祭を広告しながら会期中の生活を試みる。クラウス・ポビッツァー
1971年、シランドロ(イタリア)生まれ。ウィーン(オーストリア)を拠点に活動。鑑賞者を巻き込むようなドローイング、インスタレーション、パフォーマンスを主に公共空間で展開。自ら撮影した写真やメディアからの写真をベースに制作するコンピューター・ドローイングは、社会に充満する消費主義、政治プロパガンダ、コミュニケーション・メディア自体をも批判している。