札幌国際芸術祭

公募で集まった60人の子どもたちによる「さっぽろコレクティブ・オーケストラ」は、ワークショップを通して生み出されたさまざまな音を、コンダクターの大友良英さんと演出協力の藤田貴大さんが即興演奏をベースにオーケストレーションしてゆくという前例のない取り組みでした。
このトークセッションでは大友良英さんとプログラム・ディレクターの有馬恵子さん、芸術社会学者の中村美亜さんの対話を通して「さっぽろコレクティブ・オーケストラ」の立ち上げから本番までの様子を振り返りました。
会場にはオーケストラに参加した小、中、高校生の参加者が大勢来ていて、和気あいあいとした雰囲気の中でトークは行われました。オーケストラのメンバーの発言は「メンバー」としています。


登壇

大友 良英(音楽家/さっぽろコレクティブ・オーケストラ コンダクター)
中村 美亜(音楽社会学者/九州大学大学院芸術工学研究院准教授)

進行:有馬 恵子(さっぽろコレクティブ・オーケストラ プログラムディレクター)


オーケストラFUKUSHIMA! から東北ユースオーケストラ、そして、さっぽろコレクティブ・オーケストラへ

有馬 皆さんこんばんは。本日はご来場ありがとうございます。これより札幌国際芸術祭のプログラム「さっぽろコレクティブ・オーケストラ」(以下、「コレクティブ・オーケストラ」という。)を振り返るトークセッションを行います。本日の登壇者はコレクティブ・オーケストラでコンダクターを務めた音楽家の大友良英さんです。そして芸術と社会の関係について研究している九州大学大学院芸術工学研究院の中村美亜さんです。まずは大友さんとプロジェクトの経緯から聞いていきたいと思っています。

大友 大友です。そもそも何でこの三人が今ここで喋ることになったのかという前提から始めましょうか。まず札幌でコレクティブ・オーケストラを始めたのは、僕というよりは有馬さんのアイデアでした。元々有馬さんと僕が知り合ったのは2013年に「東北ユースオーケストラ(*1)」を宮城県でやったんですけども、その企画制作を有馬さんがされていたというのが出会うきっかけでした。

有馬 はい。少し正確に話すと、東北ユースオーケストラは、音楽家の坂本龍一さんと、ベネズエラ出身の世界的指揮者グスターボ・ドゥダメルさんがゲスト・コンダクターで、東北地方の宮城、福島、青森、岩手から400人ぐらいの中高生が参加して、2013年に宮城県の松島市で行いました。そして坂本さんがゲストとしてお呼びになったのが大友さんでした。

大友 震災から2年後だったので、メンバーは主に震災の被害が多かった地域の子どもたちが多かったんです。オーケストラは札幌でやったオーケストラとはだいぶ違っていて、普通にオーケストラでした。普通にオーケストラというのは、バイオリンやビオラやチェロがいてですね、トランペットやホルンがいてっていう、いわゆるクラシックのオーケストラの編成で主に坂本龍一さんの曲をやったりしたんですけど、坂本さんは何でだか知らないけどオレのこと呼んでくれて、2013年当時ブームになっていた「あまちゃん」のテーマ曲をやったんですが、それ以外に今回札幌でやったのと同じ即興での演奏をその人たちとやったんです。それが今回のコレクティブ・オーケストラの大きなきっかけになっています。そのときに、みんなものすごい戸惑っていました。普段譜面見て、きっちりした曲をやる人たちばっかりだったから。そもそも「何だあのおっさんは」みたいな(笑)。全然音楽家に見えない普通のおっさんが来て、訳分からないこと言い出したって感じで。でも、即興の指揮で皆と演奏するのはものすごく面白かったんです。
それで有馬さんと知り合って、終わったあとに、最初から大人が作った曲をやるんじゃなくて、全部子どもたちと作るようにしたら、より面白いんじゃないみたいな話し合いをして、生意気なことをオレ言ったんです、有馬さんに。だいぶはしょったけど、そのときはそれで終わって、札幌国際芸術祭でゲスト・ディレクターになったときに有馬さんに声をかけて、そのときに言っていたようなことを実現しようということになった。あと、なんで美亜さんと何で知り合ったかというとですね、これは、有馬さんから言った方がいいかな?

有馬 実は美亜さんとは、2014年の秋に福岡の糸島を旅行していたときに本当に偶然会ったんです(笑)。私が古民家にいたときに美亜さんがいらして、ちょうどそのとき「アンサンブルズ・アジア・オーケストラ」という、東南アジアで一般の人たちと音楽を作る企画をやっていたときで、そのことを少し話したらものすごく盛り上がって、明日も話しましょう、ということになりました。そしたら実は美亜さんは、九州大学で芸術社会学を専門にしている先生だったんですね。札幌でコレクティブ・オーケストラが始まる少し前でした。

大友 有馬さんが美亜さんの本(*2)を持って来て、もう僕ら周りに宣伝しまくるわけ。それで、僕もそれまで名前、ほとんど存じ上げていなかったんですけど、本を実際読むと面白くて、こんな学者の方がいらっしゃるんだと思いました。

中村 中村美亜です。何で私が古民家でいきなり有馬さんと話をすることになったかというと、話は長くなりますが…。震災直後の2011年4月に、大友さんが東京芸術大学で「文化の力」について講演をするということがありました。ちょうどその頃、私は芸大で仕事をしていたんですけれども、仕事をコソコソと抜けて、講演を聞きに行ったんです。そうしたらもうこれは素晴らしくて、直感的に、この人は信用していい人だなと思ったんです。
その年の8月15日、福島で「フェスティバルFUKUSHIMA!」をやるというので、これは行かなきゃと思って伺いました。素晴らしい催しだったのですが、そのなかで「オーケストラ FUKUSHIMA!」というプロジェクトがあったんですね。これはとにかく何か音の出るものを持って集まってください、っていうことでしたよね。

大友 そうですね。270人くらい演奏者がいたかな。

中村 「オーケストラ FUKUSHIMA!」はコレクティブ・オーケストラの原型となるような取り組みだったんです。とにかくみんな音出るものを持ってきて、即興的に何かやろうということでした。最初は何だこれ雑音だ、みたいな話だったんですけれども、どんどん盛り上がって来て、最後は私のような観客も、知らないうちに加わっていて……終わってみたら何だったんだこれはって思いながらも、不思議な一体感を味わったのを覚えています。あとは神戸の「音遊びの会」をやっている沼田里衣さんから、大友さんの話を聞いていたので、興味を持っていました。大友さんがアジアでも何かやっているらしいっていう話も聞いて、福岡アジア美術館でのトークイベントも聞きに行っていました。何かのきっかけで会えたらいいなと思ったら、福岡の郊外、糸島のとある古民家(糸島国際芸術祭「糸島芸農」の1つの会場だったのですが)で、隣にいる人が大友良英とアンサンブルズ・アジア・オーケストラをやっていると言うから、これは話を聞かなきゃいけないって、話しかけたんです。そうしたらなんか知らないうちに巻き込まれてですね、宮古島に連れて行かれ、札幌に連れて行かれ、南へ北へと(笑)。

有馬 そうそう。そうでした。

大友 美亜さんは今回のコレクティブ・オーケストラのリハーサルも本番も見ているんですけれども、実際に企画運営していた側ではなくて、外の人として見てくれていた方なので、今日お話するのにちょうどいいかなというか、コレクティブ・オーケストラが何だったのか、やっている本人たちにも分からないことがいっぱいありますので、そんなことを今日お話できればと思っています。
「オーケストラFUKUSHIMA!」は震災がきっかけで、震災の年の夏に福島でやったフェスティバルのときに、東京からミュージシャンが来てただ演奏するだけじゃつまらないから、どうせなら福島の側の人たちとも演奏しようと思って始めました。とは言え東京から来る、綺羅星の如きスターに比べるとそんな人誰もいないので、一般の人でも寄せ集めてすごい人数だったら大丈夫だろうと思って、二百何十人集めて、あのときは2日間くらいリハーサルをしてやりました。コレクティブ・オーケストラでやったこととちょっと似ていて、あそこで原型ができたと言ってもいいと思う。楽器ができるできない関係なく、本番はそのとき来ていたミュージシャンもいっぱい参加しているので、坂本龍一さん、遠藤ミチロウさんとか、二階堂和美さんもいるし、一般の農家の方もいるしっていうようなオーケストラだったんです。今考えると坂本龍一さんが前回の芸術祭でディレクターをやっていて、そこにオレが呼ばれてきて、札幌でもそういうオーケストラをやったりとか、微妙につながっています。有馬さんがコレクティブ・オーケストラをやるきっかけになった「東北ユースオーケストラ」も坂本龍一さんに誘われているので、坂本さんは結構キーパーソンです。本人は気付いてないかもしれないんですけど。

有馬 そうですね。コレクティブ・オーケストラが始まる前に既にいろんなところで交差していたんですね。


*1 当時の主催はルツェルン・フェスティバル・アークノヴァ実行委員会。東北ユースオーケストラは現在も活動を継続中。
*2 『音楽をひらく』2013年水声社刊