札幌国際芸術祭

音が生き生きするということ

中村 前から聞きたかったことがあるんですけど、大友さんが音楽、特にコレクティブ・オーケストラのように、みんなで一緒に音楽をするっていう状況で一番大事にしていることは何ですか?

大友 音が生き生きするようにすることに、ほぼ集中しています。すごく漠然とした言い方なんですけど。でもこれはコレクティブ・オーケストラだけじゃなくて、プロの現場でもまったく一緒です。例えば「あまちゃん」のテーマ曲は、あれ、何回も録音しているんです、毎日流すものだから。だけど、何度も録音して、すごい上手くなったテイクを結局使ってないんですよ。2、3回目のバラバラしているけどもみんなが好きにやっているテイクを使っています。だから僕の中で、生き生きっていう基準がなんなのか自分でもちゃんと考えたことないけど、何かあるんですよね。

中村 それで言うと、普通のオーケストラの話が出たのでその話をすると、めちゃくちゃ上手いオーケストラって、バンッてやったときに、ズレていて、そのズレ方が絶妙なんです。バンッてやったときは、みんなが一緒に出なきゃいけないって思うじゃないですか。上手いオーケストラはみんな同時にやっていると思うでしょう? でも、それを録音して分析するとわかるんだけど、ズレてるんです。だって、完璧にしたかったらみんな、それこそコンピューターとかで揃えて音を出せばいいじゃないですか。だけどそれは死んだ音になるんです。つまらな~い音なんです。上手いオーケストラになると、そのオーケストラ独特のズレパターンがあるんです。その一瞬の、0.0何秒の中に、どの楽器が先に出るとか、どの楽器の音の方が他の楽器のよりもちょっと大きいとか、小さいとか、そういう絶妙なズレがあって、その絶妙なズレに私たちは生き生きとしたものを感じるんです。

大友 なるほど。

中村 私たちって、整っているときに、生命感をあんまり感じないと思うんです。それって、普段の生活でもそうで、ルーティンになったり当たりまえにやっているときって、生き生きとしていないですよね。だけど、「なんかよく分からないけど、やってみよう!」と思っているときとか、他の人と何か一緒にやっていて、予想外のことが起きていくときに、生き生きとするじゃないですか。多分、それと同じなんじゃないかと思っていて。

大友 そうだと思います。

中村 たかが音だけど、やっぱりそういう私たちの、人間が普段生きているときの体の動きとか、人と人の関係の仕方と結びついていて、音を聞いていようが、人の関係を見ていようが、同じように反応していると思うんですよ。そのときに、大友さんみたいな音楽家は、どうすれば一緒に演奏する相手が生き生きとできるか、もっと言うと、どうすればそれを聞いた人たちにも生き生きと感じられるかっていう方法を、多分、知らないうちに身につけていて、それをやっているんじゃないかなと思う。生き生きとした音を目指すっていうのは、私たちが生き生きとした関係、自分が生き生きとした気持ちになるっていうことと、深く関わっているんじゃないかなって思うんです。

大友 単に技術じゃないんですよね。じゃあ技術的にちょっと0.何秒遅らせてこうやって組み合わせたら音が生き生きするだろうとか言い出した途端に、やっぱりだめで、自然っていう言い方が良いのかはよく分からないんだけど、面白いのを作るためには音の指示をするんじゃなくて、みんなの感情を作った方が、面白くなるんですよ。それはね、アマチュアもプロもまったく変わらない。プロの人たちは、例えば、みんなみたいに「やりたいやりたい!」とかは言わないけどね、もちろん。

一同 (笑)

大友 次やりたい人、「はーい!!」とか言わない。だけどプロの人たちもね、生き生きさせるポイントがあって、「今日なんか良いね、その音」って一言言うだけで全然変わったりします。ほんのちょっとしたことで音が急にグワッと生き生きし出すのは、プロとやるときよりも子どもたちとやったときの方が露骨なんですよ。だからみんなは原石みたい。プロの人たちって、あるレベルに必ず行く。だけどみんなだと、あるレベルに行かないときもあるけど、でもなにかのはずみで音が生き生きし出したときは、それはね、もう、普通のバンドとやっているときよりもすごいことが起こる。だから、「やりたいやりたい!」のあの瞬間は、オレ、今までの人生のどんなバンドよりもグルーヴしてたと思う。すごかった。だけど、例えばだよ。あれがいいからっていって、みんなでこのやり方で今、「やりたいやりたい!」ってやろうっていっても、ならないんだよね。

中村 無理ですよね。本番のときには、普通に上手くやっているものも何曲かあったと思うんです。でもそれよりも、「やりたいやりたい!」って、このコレクティブ・オーケストラのメンバーがなっていく方が、すごいことなんじゃないかなって思ったんですよ。これは、ただ単にコレクティブ・オーケストラで演奏するっていうことだけではなくって、これから大人になってからでも、つながっていくことのような気がするんですよね。

揃うと居場所がなくなるような気がする

撮影:小牧 寿里

大友 コンサートの前半は比較的、僕がオーガナイズしたり、演出家の藤田貴大さんがいろいろ考えてきたものが中心になっていって、子どもたちのみんながその中で何かやろうとしていたんだけど、後半になると段々、オレや藤田くんの影はなくなってくるんですよ。それは、子どもたちが、ある意味、良い意味で調子に乗るんですよね、ステージ上で。調子に乗るってよく悪い言葉で使うけどさ、調子ってリズムの事だからね。音楽をやる人は調子に乗らなきゃだめなんだよ。普段調子に乗っていると怒られるよね、調子に乗るんじゃねぇって。だけど、調子に乗ってた、みんな。良い意味で。それは、最初から、僕らもそれは考えていて、最初のうちはある程度作っていくけど、後半は少しオープンにしておこう。子どもたちがどう動くかで、いろいろ構成を変えてもアリにしようっていう風にはしてたんですよ。それがもしも、みんなが緊張しちゃってあんまりそうならなかったら、それはそれで大人の腕力で構成していこうと思ったんだけど、幸いあのときみんな、完全に調子に乗ってくれた。
いやいや、もう、完敗ですよ。最後は負けましたね。花束渡されたとき、オレ、泣いちゃったんだけど、完全に負けだと思ったけどね。

中村 私も、見て泣いてたんですけど(笑)。やっぱりそれは、この子たちすごいなっていうことが、大きかった気がしますね。もちろん大友さんもすごいんだけど、それよりも、ここの舞台上にいる子どもたちが、自分たちでこれだけのことができるようになってきたっていう、しかも、なんかうらやましい感じだったんですね。そういうことを見る機会はあまりないし、自分が経験することもあんまりないと思うんですよね。毎日それを経験するのは無理だけど、ときどきこういう経験ができるっていうのは良いことかなって思いました。
あともう一つ。みんなと一緒に何かをするってどういうことなのかなって、すごく考えさせられました。っていうのは、みんなと一緒に作ろうとか、みんなと一緒に演奏しようっていうと、みんなが平均化して、同じようにやるのが良いと思いがちな気がするんですよ、世の中では。

大友 あるレベルに近づけていって、同じようにやれるようになるっていうことですよね。

中村 みんながみんな同じようになることが、良いことだっていう風に、どうも思いがちで。教育現場でも、会社でもそうだけど、どうもそういうことを求めようとしている気がするんだけど、それって、実はあんまりパフォーマンスが上がらないやり方なんじゃないかなと思っていて。そもそも、やる側もあんまりテンション上がらないし、出てきたものもつまらない。むしろ、さっきの生き生きとすることを目指すというように、違うやり方をみんながしていた方が、上手くいく。
でも、バラバラじゃないんですよね。そこをもうちょっとお聞きしたいんだけど、バラバラではないけどみんな一緒にやっている、でもみんな一緒に同じことをしているわけではないっていう感じですよね。

大友 いやいや、ものの見事に、一緒じゃないもんね。ずーっとお手玉やっている子もいるし(笑)。

一同 (笑)。

大友 それと、そこにいるリュウガくんみたいに小6なのにもう、タップのプロみたいにやっちゃう子もいるし。ソウジくんなんか、トランペットあんなに上手いのになんだか分からないけど鬼のお面被って太鼓を叩いていて、何やってるんだお前みたいな、本当、バラバラ。マエくんとかいつもさ、ジャンベで、ものすごく盛り上がるんだけど、「いいぞ、いいぞ!」と思うと、一番盛り上がるところで立っちゃうんだよ、「イェー!」って。そうすると音が無くなるんだけど(笑)。でもオレそれ、大好きで。「来た来た、一番盛り上がりで音が消えたぞ!」って(笑)。なんなんだろうね、そのバラバラさを最高って感じるのは。多分ね、オレ、みんなが同じになるの、気持ち悪いんですよ。音楽でも何でも。バラバラの方が面白くて、揃い過ぎちゃうのが多分、嫌だからっていうのもあるのかな。

中村 それはどういうことなんですかね、揃いすぎるの嫌だって。

大友 どういうことだろうね。気持ち悪いって思っちゃうんだけど。

中村 大友さんが以前、どこかで書いていらしたことで、「オレは良い人だからみんな寄って来るんだけど、あんまり近くになってくると、うぜぇうぜぇと本当は思う」っていうような話があって。

大友 オレ、良い人じゃないと思うけど(笑)。良い人に見えるっていうだけかな。でも仲良くバラバラにワーッってやってるうちは良いんだけども、なんか肩組み出して同じことを言い出すと、ちょ、ちょちょちょちょちょっと待ってって。

中村 それは、いつからですか? ずっと?

大友 でも気付いた頃からそうかな。なんとなくね、僕ね、友達とかできにくい、嫌な性格の子どもだったんですよ(笑)。ひねくれていて、結構。それで、小学校6年のときに、こんな話していいのかな、学校の先生に呼ばれて、お前性格が悪いからなんとかしろって。

一同 (笑)

大友 そんなこと言うんだ、って思ったけど。いい人に見えるでしょう、よくみんな騙されますけど、心の中じゃ結構ひどいこと考えているからね。うるせえな、このガキって思いながらウェーってやってたりするんだけど(笑)。なんだろうね。なんかみんなが揃っちゃうと気持ち悪いんですよね。そこに自分の居場所がなくなっちゃうような気がして。

中村 揃うと居場所がなくなるような気がする。

大友 うん、気がする、気がする。それ何だろうね、何なんでしょうね。

中村 でも面白いですよね。揃うと居場所がなくなるって、たしかにそうかもしれませんよね。みんながみんな、自分じゃなくなるのかな。

大友 分かんない、そういう方が気持ちが良い人もいるのかもしれない。だからオレよく、合唱、すごい嫌だったっていう話をするんですけれども、子どもの頃、音程も合わないし、ワーッて歌うとみんなオレの方バッと向くんですよ、音程がズレているから。それで、しょうがないから、口開けて歌っているふりしてたんだよ。ニコニコして。だけど、あぁいやだな、音楽の時間、本当に嫌だなって思っていたんで、僕はみんな音楽の時間は嫌いだと思っていたら、あとで聞くとみんなで歌うの楽しかったっていう人もいくらでもいるわけで、何だろうね、何でこんなんなっちゃったんだろうね。ひねくれてたのかね(笑)。

中村 私も、みんなが揃うことが居心地の悪い人間だけど、今もおっしゃったように、そうじゃない人もいて、多分、今回のコレクティブ・オーケストラを見ても、すごく感動する人と、全然感動しない、何だこれはって思う人がいると思う。それでいいと思うんですよね。

大友 いると思う。両方いないと困るからね。

中村 そうなんです。よくありがちなのは、みんなが満足いくものを作らなきゃいけないみたいな話。それって良くないなと思うんですね。ちょっとそれるけど似た話をすると、いろんな自治体が、演奏する場所とかみんなが発表会をする場所として、多目的ホールを作ったんですよ。音楽もできるし、演劇もできるし、のど自慢大会にも使えるみたいな。そういうのが以前流行って、あっちこっちにいっぱいできたんだけど、どういうことになったかっていうと、結局、どの人からも、使い勝手が悪いっていう話になり、多目的ホールは、無目的ホールだって。要するに、どの人からしてもちょっと足りないっていうんですね。その話と今の話、結構似ている気がしていて、なんか誰にでも通用するっていうのはそこそこみんな満足するけど、それを熱狂的に好む人はいないっていうこと。その状況ってすごく悲しいなぁと思っていて。そこそこの活動がいっぱい増えていっても、誰も満足しない。
多分、コレクティブ・オーケストラがやろうとしてることは、誰もが満足するわけじゃないけども、みんなが平均的に上手くやるっていうことに対して居心地が悪いと感じている人たちが、そうじゃないやり方もあるんだ、そうじゃなくてもなんかみんなで作ることができるんだっていうことに気付く機会になっているんじゃないかなって思ったんです。みんなバラバラでも、こんな風に「共創」していくことができる。私も頭では分かっていても、なかなかそういう場に出会えずにいた。でも今回のコレクティブ・オーケストラでは、まさにそういうことを目の当たりにしたという感じがするんです。

大友 今のことで言っちゃうと、本人たちがいるからいろいろ言いにくいからどこまで言おうかって思うんだけどさ。オレ、外れちゃう子、気になるんですよ。だけど、コレクティブ・オーケストラを見てるとどうも外れちゃう子が主なんだよね(笑)。もう、大丈夫かな、こいつ、学校で上手くいってるのかなとかいろいろ思っちゃうわけ。ごめんね。上手くいってるのかもしれないし、いってないのかもしれないけど。ソウジくんの顔見ながらしゃべってますけどね(笑)。でも別に学校で上手くいかない子がえらいんじゃないんだよ、いく子がえらいんでもないの。ただ、いろいろいるさって思うの。自分はあんまり上手くいってなかったから、っていうのもあるんだけど、気になっちゃう。で、上手くいってない子でも、ものすごい力があったら一人でなんかできたりもするんですよ。天才的な能力があったりとか。そういう中ではアーティストになる人っだっていると思う。あるいは科学者になる人もいるのかもしれない。だけど、必ずしもそんなのばっかりじゃないし、別に特別な能力があればいいとも、思ってないんですよ。ただみんな違ってたほうが、いいんじゃないって思ってるだけで。
あと、音楽の面白いところは複数でやれることなので、絵とかと違ってね、小説とかと違って。そうすると、外れちゃったり、なんかあんまり、いろんな集団に入れない人たちでもやれるアンサンブルってないかなって、意識してたわけじゃないけど、どうしてもそっちの方向にやや行きがちで、おそらくこんなことを考える大きなきっかけになったのは、もっともっと遡っちゃうと、即興音楽とかノイズミュージックとか変な、一般には全然聞かれてないような、アングラな音楽の方に強く惹かれていった理由もおそらくそういうことで、まったく、それまでのやり方と違う音楽の作り方みたいなものをやっていく中で、外れちゃってもできる音楽のあり方っていうのがあって、そもそも外れちゃうっていう場合、外れてないものがあるっていう前提になるんだけど、そのこと自体が、おかしくないか?っていうか。そういうものを前提にしている社会があって外れるわけだから。だから、外れてるっていい方自体にも問題があって、そもそも、外れてないものを中心に置くことを前提にしている社会のあり方に対して、強い疑念があるんです。難しい話してるなぁ、大丈夫かな、伝わっているかな、小学校の諸君。

メンバー 大丈夫です。問題ない。

大友 問題ない? ほんとかよ、もう(笑)。

中村 今回のコレクティブ・オーケストラを見ていてもう一つショッキングなことがあったんですが、それは、実はリハーサルの最中のことなんです。普通リハーサルって、今から練習を始めるところから休憩まで。休憩が終わってから、練習が終わるまでなんだけど、大友さんと今回のオーケストラメンバーは、休憩中もずーっと戯れていましたよね。
本番の日もそうでした。だから本番の日は朝からリハーサルがあったんだけど、リハーサルの間の休憩中も、それからリハーサルと本番の間もずーっとコミュニケーションを取っていて。それは私にはショッキングだったの。

大友 ショッキングですか。

中村 何でそんなことできるんだろうって思ったの。何ていうのかな、音楽を作るっていうのは、本番とか、練習している時だけの問題じゃないんだっていうことを身につまされた感じで。結局、どうやって一緒にやる人たちと話をするとか、そういうことがすごく重要で、それが上手くできていくと、生き生きとした音楽が生まれてくるのかなって思ったんですよね。

大友 それは人間関係、信頼関係っていう言い方をしてもいいのかもしれないんだけど、それがあるとないとじゃ全く違う。音楽のレベルとか、大人子ども、関係ないんですよ。プロの現場ですらそう。休憩時間も勝負だとオレ思っているんです。休憩時間にどんだけ本番と違うくだらない話ができるかとか、なんかね、そういうの結構重要です。特に子ども達とだと、もうオレの想像を絶することがいろんなところで起こるもんで。これ、多分、子どもを育てたりとか、家庭を持った経験がないから新鮮なのかもしれない。家庭を持っている方はもううんざりかもしれないよね。

大人たち (笑)。