札幌国際芸術祭

市民って誰だ?

有馬 大友さんは、札幌国際芸術祭のゲスト・ディレクターとして、最初の段階からこのコレクティブ・オーケストラは、芸術祭にとって、非常に大切なものだということをおっしゃっていました。本番を迎えて今日があるわけですけど、芸術祭を終えた今のお気持ちとして、どのように感じていらっしゃるのかなというのを、伺えたらなと思うんですけど。

大友 そうだね。今回の芸術祭の依頼が来たときに、唯一市役所の依頼主から言われた言葉は、市民とやってほしいってそれだけなんだけども、その市民とやってほしいっていう意味は結構分かりにくくて……

中村 そう、いつもそれ問題になるけど。市民って誰だって。

大友 そうなんだよ。だって、札幌に約200万ぐらいの人がいるとして、200万人と一緒にやるのなんか、恐ろしいですよ、全体主義みたいなことになっちゃうからね。そんなことはもちろんできなくて、僕の場合で言うと、いわゆる職業アーティストじゃない、ここに住んでいる人とやれっていうことくらいに思っていて、それはなるべく顔の見える範囲にしたいなと思って、顔が見えるっていうのは、たとえばブワーッと何千人もいるところで何かやるんじゃなくて、今日のこの会場だと顔見えるじゃないですか、これぐらいかな。大体2年くらい付き合うとどんな人か分かるくらいの範囲でやるっていうことかなと思いました。それともうひとつは、今回子どもが対象だったわけだけど、有馬さんからコレクティブ・オーケストラを子どもでやりたいって話が来たときに、僕最初ね、大人も子どももごっちゃでいいんじゃないのって言ったんだけど、有馬さんが子どもにこだわったんですよね。そこ、何でだかもう一回聞きたいんですけど。

有馬 そうですね。いくつか理由はあるんですけども、一つは誰でも参加していいという公募でも、日本でやる場合は大人を対象にすると大友さんのファンとか、藤田さんのファンとか、ある属性にかたよりがちになることを危惧していました。今回のオーケストラではさまざまな制約から解き放たれて自由になる場を作りたい、通常の社会での属性を超えて、純粋に新しい音楽へ挑戦したいと考えていました。

大友 芸術祭の根幹っていう話をしちゃうと、市民とやるプロジェクトの二本柱は大風呂敷プロジェクトとこのコレクティブ・オーケストラにしようと思っていました。大風呂敷は、僕がやるのではなく、福島の人たちとこっちの人たちが、上手く自生的につながればいいなと思ったんです。コレクティブ・オーケストラは逆に、結構僕がいっぱい出ていって、コミュニケーションしていく中で、即興的になるべく子どもたちに作らせるっていう形を試行錯誤しました。鈴木昭男さんが来たり、吉増剛造さんが来たり、石川直樹さんが来たり、マレウレウが来たりして、結構いろんなことを試したと思うんです。もう一つすごい大切なのは、よくアマチュアの人とやるとどうしても学芸会みたいになるんじゃないかって言われる。たとえば、アマチュアでもこんなに上手にできました、みたいなものを多分芸術祭でやったところで説得力ないんですよ。だったら学芸会でやればいい。だけどそうじゃなくて、アーティストとかプロの人たちがやったんじゃとてもできないようなものを作らなきゃいけなくて、それを子どもたちと作れたらやっぱりすごいことだと思うので、そこを真剣に考えていました。
芸術祭全体がそういうものになればいいなっていう意味合いがもちろんあったかな。だから今回の芸術祭、もしかしたら、従来の芸術祭によく参加している、いわゆるアーティストの人たちからはすごく批判的だったかもしれない。「オレたちの居場所ねーじゃん」みたいなことかもしれないんだけど、ただ、そうではなくて、札幌で作る芸術祭なわけですから、札幌から生まれたものがちゃんと世界に向けて出せるくらいのものにしないとダメだと思ったので、でも、コレクティブ・オーケストラは、それがね、できたと思っています。

中村 私も、なんとかこれを、本番を体験していない人にも伝えたいと思っていて、どうやったら伝わるかなというのを今考えています。やっぱり、新しい音楽のあり方とか、新しい関係性の中での表現とかって、みんな関心のあるところだと思うんですよね。今までの、楽譜を元にした音楽っていうのが悪いわけではないんだけども、それとは違う新しい表現の仕方、人との関係性の作り方について、今、みんなが模索しているところだと思うんです。それは、もっと言っちゃうと社会のあり方の模索でもあると思うんですよね。
昔は、市民っていったときに、共同体っていうのがあって、みんな自分の持ち分があって、偉い人に言われたことをやっていくっていうのが普通だったと思うんですね。それって、いわゆる伝統的なオーケストラの仕組みでもあるんです。自分のパートがあって、楽譜が与えられて、最善を尽くして演奏する。そこには、コンダクターがいて、その人の元で一つのものを作り上げる。ところが、今の世の中では、そういうやり方は通用しないんですよね。何でかっていうと、抑圧されていたいろんな人たちがいるっていうことが分かってきたから。
世の中には、いろんな価値観を持っている人間がいる。ヨーロッパの人だけじゃなくて、アジアの人もいるしアフリカの人もいる。お金持ちの人だけじゃなくて、貧しい人たちもいる。それから、以前はオーケストラっていったら男だけだったけど、今は女性も入ってきた。それから、昔は健康な人たちしか社会の一員として考えられてなかったけど、今は障がいのある人たちも音楽活動をするようになった。障がいと言っても、身体のものもあるし、知的なものもある。それに、いわゆる障がいと健康との間の人たちというのもいっぱいいる。そういういろんな人たちがいる中で、どうやって社会を作り上げていくかということが、今、ものすごく大きな課題になっているんです。どういう共働の形がありうるのか、どうやって共創ができるのかって。
こういう問いに対して、今回のコレクティブ・オーケストラは、一つの答えを出しているような気がするんですよね。人と人との関係の仕方が何かを生み出すことにつながるっていう道筋を示している。こういう事をいくつかつなげていくと、今までとは違う、みんなが平均化しなくても、違う人同士が一つのものを作り上げていく文化が出来てくるんじゃないかなと。こういう活動があちこちにたくさんできると、世の中生きやすくなるんじゃないかなって、私は考えています。

大友 たしかに、音楽をもちろん作っているんですけど、その中で、思想って言っていいのかもしれないけども、はっきりあるんだと思うんです。上手く言葉にできないけど、これはアリ、これはナシって、やりながらやっぱり思っていて、それが多分コレクティブ・オーケストラには強く反映していて、僕はそれを、子どもたちにこうしろって口で言っているわけじゃないんだけども、音楽を実践していくなかで、そういう風なコミュニティというか、人間関係が生まれるような状態を作るようにしたんだと思うんですよね。僕だけじゃなく、みんなでやったんだけども。で、だから僕、札幌国際芸術祭自体もそうあってほしいと思っていて、本当に、今、美亜さんがおっしゃったとおりですね、これまでの従来型の社会のやり方じゃもう厳しくなっているっていうときに、今、いろんな反動が起こっていて、「もうそんなの、いろんな価値観のあるのは面倒くさいから白人だけで固まってここはもうメキシコ人を入れないようにしよう、byトランプ」、みたいな考え方も出てくる、反動として。日本だってそういう考え方、今出てきていると思うんだけど、そうじゃない形っていうのを、言語だけじゃなくて、実際に、人間関係の中で作っていけると思っていて、ただそれは、実際の社会だととても難しいんだけど、少なくとも音楽の現場だと、あんまり言語を介さないので、比較的やりやすいなって思っている。言葉を介すとなんか理屈が出てきちゃって、闘いになっちゃうんだけど、とりあえず音楽だとそれがフッと消えるので、その場だとわりあいできるかなっていう感じがしていて、僕は芸術祭自体もそういう方向に行く芸術祭じゃないとこの先ダメだと思っているんです。かつてオリンピックって「参加することに意義がある」っていう言葉があったでしょう。今、誰も言わなくなって、アスリートにしか価値がないになっていると思っているんです。だけど初期のオリンピックって相当おもしろくて、結構めちゃくちゃなんですよ。だから、その初期のオリンピックが理想としていた、いろんな人類が平和に過ごせるようにっていう理想みたいなものは、今のスポーツではもう実現しにくくなっていて、むしろこういう音楽とかアートの現場でこそ、そういうものが生きるような気がしているんですよね。アスリートがだめって言っているんじゃないんですよ。ものすごい楽器のテクニックを持ったやつと、昨日トランペットを買ってきたやつが一緒にやれるっていうのが理想だと思っていて、現実の社会ではなかなか難しいことも、ここなら出来るんじゃないかなって。

誰一人欠けても違う音楽になった

撮影:小牧 寿里

有馬 そろそろ終わらないといけないですね。2年間、コレクティブ・オーケストラっていうのをやらせてもらって、私は本当にね、楽しかった。本当にもしかしたらものすごい単純なことで、みんな本当に楽しかってったっていうことだけで毎回来て、また来てっていう繰り返しが最後まで続いて、もしかしたらあんなにね、本番が盛り上がったのはこう、みんな、本当にここで終わりたくないみたいないろんな気持ちが混じって爆発したのかなっていう気もしなくもないですよね。だから今日、いろんなことを話したけど、いろんな答えが、参加したみんなのそれぞれの中にもあると思うし、もちろん、コンサートに来場してくださった方の中にも、いろんな気持ちが生まれたのではないかと思います。そういう意味ではコレクティブ・オーケストラは、演奏する人、関係者、来場してくださった方、いろんな人たちが集まって生まれた音楽なのかなと思っています。集まることによって生まれる音楽っていうものが本当にあると感じていて、その演奏が本当に素晴らしかったっていうところが、何よりこの札幌国際芸術祭という場を生かして、やらせてもらった意味としてあったのかなって、私は思っています。

大友 今日子どもたちが来てくれているからあえて言っちゃうと、今日全員来ているわけじゃないけど、誰一人欠けても違う音楽になったと思う。一人欠けたらできないとは言わない。逆に言うとその人が入ることで、違う音楽になったってことだと思う。それはものすごく意味があることだと思っていて、そのことは、ちょっと頭に残しておくといいかもしれない。で、あともう一つ、オレが「この音良いよ」っていうのがすごく良い意味を持ったって、さっきおっしゃってくれたけど、オレね、嘘はついてないの。良くないときは言わないんだもん。まあときには、本当にうるせぇんだよお前らっていうときもあるんだけど、でもね、良いときしか「この音良いよ」って言わない。これ良いっていうのを言うと、ちゃんとそれがその次にまた生きてくる。そこをどれだけ的確に掴むかが重要だと思ってるんです。これはね、子ども相手だけじゃないですよ、大人も同じ。音楽のプロデュースって多分、そういうことだと思う。本当に良いときを捕まえられれば、ものって、すごく動く。音楽って、欠点を見つけてここを直せっていうよりは良いところ言ったほうが、はるかに効果的で、それでいつのまにか欠点なんか消えたりするところもあるんですよ。教育関係ねぇとか言いながら教育みたいなこと言っていますが(苦笑)。そう、だから、君たち一人ひとりが入ったことで、この音楽が成り立ったっていうのは本当にそうだなんだからね。なんかもう、褒めると照れくさいね。

中村 大友さんの活動、ときどき私も見てきたんですが、今回の札幌は今までとはかなり違った印象があります。それは、今までただ単に即興で音楽を作り上げるってことだったけど、それだけじゃなくて、2年間にわたってやったっていうことで、種をまいたというか、それに、出てくる音楽も、すごく生き生きとしたものを感じたんですね。人の気持ちを動かす音が出てくるっていう。今までとは違う感じがしたんですね。

大友 今回は、今までの経験やスキルをもって教えるっていう感じではなく、集まった人たちとどうやったら音楽が作れるかっていうことをまっさらな状態から考えた2年間だった部分もあるので、だから今回は、みんなから逆にいっぱい学びました。いやぁ、大変だなぁとか思いながら。ってか、本当に大変だったよ、お前ら(笑)。でもすごい学んだし、楽しかった。それはやっぱり、こんなにじっくりやる機会なんてめったにないからだと思います。10年以上前に「音遊びの会」って障がいのある子たちとやっぱりじっくりやった期間があって、これも僕にはものすごく大きな経験だったけど、それとはまた全然違うフェーズで、こういうことができたのは僕にとって大きかったと思うし、だからそれを、中村美亜さんみたいな音楽の学者の方が、なんらかの形で研究対象にしてくれる、あるいは言語化してくれるっていうのはすごくありがたいと思っています。話が尽きないけど時間ですね。

有馬 本当に話が尽きないんですけれども、この2年間本当にありがとうございました。そして会場の皆さん本日はご来場ありがとうございました。

(拍手)


※このテキストは2017年10月11日に札幌市役所にて行われた公開対談を元に加筆修正したものです。