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2019.02.08

SIAF2020ディレクターズトーク第1弾(完全版)を公開しました!

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12月8日(土)に開催した、SIAF2020ディレクターズトーク第1弾を対談形式でまとめました。

企画ディレクターお二人の人となりを知ることができるものとなっておりますので、ぜひご覧ください。


<登壇者>
天野 太郎(以下、天野):SIAF2020企画ディレクター[現代アート担当]
アグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカ(以下、ジェドシェツカ):SIAF2020企画ディレクター[メディアアート担当]

<司会>
細川 麻沙美(以下、細川):札幌国際芸術祭実行委員会事務局統括マネージャー

 


 

細川
本日は、お二人にお会いするのが初めてだという方がほとんどだと思いますので、お二人のことを知ってもらうために、こちらで幾つかの質問を用意しました。はじめの1時間ほどは、質問にそれぞれ答えていただき、後半をフリーディスカッションにしたいと思います。

では、最初の質問です。

「あなたの性格を教えてください」

天野
はい。まず率直すぎるということですね。日本人はそこまで率直に物を言わないのですが、私はアメリカ人から率直すぎると言われたので、相当駄目だなと思いましたね。いい性格ではありません。短気だし、思慮が浅い。自分では、思慮が深いとそのときは思っているのですが、後で考えるととても浅いんです。

スライド18

細川
もうひとつの写真、こちらですね。

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天野
整理整頓ができません。ただ、この写真の状態まで行くと、さすがに表層雪崩を起こすので、年に3回は美しくなる瞬間があります。でも、すぐにまた戻りますね。

細川
ではジェドシェツカさん、お願いします。

ジェドシェツカ
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これは私のポートレートです。実はこれ、ポールと名付けられたロボットが描いたものなんです。これはパトリック・トレッセイというフランス人アーティストのインスタレーションで、ロボットは学習机、大きなボールペンを持った2本のアーム、1つのカメラで構成されています。全部で5つからなり、それぞれが、人の顔を異なるユニークなスタイルで描くことができるんです。天野さんがご自分の肖像画を紹介されましたので、私も真似をして、こちらをご紹介しました。

性格の紹介ということですが、私のお気に入りのアーティストの一人、ナム・ジュン・パイクの作品をご紹介します。

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これは《Life is tape》(人生はテープだ)という作品で、私はこれを自宅に飾っています。この作品のタイトルから私の性格を紹介してみますね。それは、テープのコンテンツを可能なかぎり最良のクオリティで、自分の周りにいる人たちのために楽しむ、また、テープの再生機がどのように機能しているのかを理解しようとするといったことになるかと思います。


細川
ありがとうございます。さて、次の質問です。

「美術の仕事についた経緯を教えてください」

天野
私の学芸員としての最初のキャリアは、札幌の北海道立近代美術館(道近美)です。勤務することになった経緯は、大学の同級生で、先に道近美に就職した札幌出身の優秀な人がいまして、私がまだ京都の大学でモタモタしているときに声を掛けてくれました。私は生まれが関西なので、当時は東京より北に行ったことがなかったのですが、いきなり飛行機で北海道に来て、ダメ元で試験を受けたら合格して就職することになりました。道近美にいたのは、1982年から1986年にかけてです。

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これは、しっかり働いている姿をアシスタントキュレーターに撮ってもらって、それをフェイスブックにアップして、世間的には「よく働いていますよ」というプロパガンダをしているところですね。私は展示をしたり、作品を輸送したりといった現場の仕事がとても好きで、あまり事務所には居たくないタイプです。

余談ですが、今日は、JRタワーのプラニスホールでフェルメールの複製の展覧会を見ました。あの有名な作品《真珠の耳飾りの少女》は、実は道近美在任中、マウリッツハイス美術館の展覧会を開催したときに北海道に来ています。でも当時は誰もフェルメールに興味を示しませんでした。この10年くらいで、随分評価が変わったなと思います。

ジェドシェツカ
私は1994年にWROの一員となりましたが、それ以前はドイツ語やドイツ語文献を勉強していました。WROの一員となるきっかけは、1989年にポーランドでは初めてとなるメディアアートフェスティバルを開催した3人の人物に出会ったことです。このフェスティバルは、当時のポーランドでは全く新しく、驚くべきものでした。私はこの3人に出会って、一緒に働きたいと強く思いました。そして1994年から、WROメディアアート財団の一員となり、このようなイベントや展覧会に関わってきました。

そのようにして始まった私の活動ですが、いつも実践の中でたくさんのことを学んできました。メディアアートについて、可能な限りさまざまな側面からのアプローチを行ってきました。そのようにして20年に及ぶメディアアートビエンナーレの開催を経て、10年前から日常的に運営するアートセンターをオープンさせることができました。天野さんと同じで、私も現場でアーティストと一緒に動くのが好きですし、彼らの作品をできるだけ良い状態で、可能なかぎり鑑賞者の視点に立って紹介したいと思っています。私たちのアートセンターは、ポーランド国内だけでなく、国際的にも広く活動しています。巡回展示も企画しており、多様な鑑賞者に世界のメディアアートを届ける機会になっています。

また、アートセンターは美術館ではないのですがコレクションを持っています。例えばインスタレーションや、ビデオアート、ドキュメント、アーティストへのインタビューをコレクションしたものなどで、現代のアートの状況を語るうえで欠かせないものとなっています。こういったコレクションやアーカイブなども使って、鑑賞者への投げ掛けをしていきたいと思っています。


細川
では次の質問です。

「あなたの住んでいる町のことを教えてください」

天野
私は2015年から、あざみ野という横浜の北部に住んでいます。田園都市線という電車が通っていて、渋谷から20分程で着くようなところです。横浜というと港町というイメージがありますが、ここは完全に郊外です。

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この写真は僕が住んでいる団地なのですが、桜がとても綺麗ですね。もっと他に見るべきものは無いのかと言われると思うのですが、全くありません。特にあざみ野は、隣の駅が多摩プラーザといって、最近の流行りの言葉で言うと「富裕層」が住んでいます。嫌な言葉ですけどね。そして富裕層の人たちは、自分の町に不要なものを作ってほしくないので、コンビニも少ないですし、極めて退屈な町だなと思っています。すみません、率直なので。

ジェドシェツカ
私の住んでいる所はヴロツワフという、ポーランド南西部にある4番目に大きな街です。

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ポーランドの国境はその歴史の中で何度か変遷を遂げてきました。第二次世界大戦前は、国境は今よりもう少し東側だったんですね。それが大戦後には南から西側へ追いやられました。今はヴロツワフと呼ばれていますが、歴史的には長らくブレスラウと呼ばれてきました。ヴロツワフは、ポーランド、チェコ、ドイツの3か国をまたぐシレジア地方の中心都市でした。

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これは教会ではありません。ヴロツワフ市役所です。この建物は1299年に建設が始まり、それ以来250年間ずっと、増築に増築を重ね建設が続いていた建物です。建物の東側は歴史博物館、西側は市長室になっています。

この町には1000年以上の歴史があります。2000年には、都市建設1000年のお祝いをしたところです。その歴史のなかでチェコ、オーストリア、ドイツなどの一部となり、第二次世界大戦後の1945年からポーランド領になりました。人口の構成にどのような大きな動きがあったのか、想像に難く無いと思います。そういう歴史があるからこそ、ヴロツワフは非常に革新的な街としての伝統を持っているのです。新しく移住してきた人々は、そこで新しい生活環境や技術的インフラ、それに異なる考え方に順応する必要がありました。だからこそ、ヴロツワフから新しいアートの潮流が生まれているのだと思います。

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さて、私たちの町にあるのはこのような歴史的な建物だけではありません。こちらの写真は、2014年に建てられたコンサートホールです。メインホールは1800席の非常に広いホールなのですが、このホールの音響設備は、日系人エンジニアのナカジマ・タテオさんによって設計されたものなんです。こちらのホールではオペラや交響楽団のすばらしい演奏を聴くことができます。ヴロツワフには、9つの交響楽団、それから3つの合唱団がありますのでコンサートを楽しむのに最適なところです。

また、皆さんは驚かれるかもしれませんが、メディアアーティストもこのコンサートホールで蟻を使ったインスタレーションを行いました。

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これは2016年に展示をした《Simultaneous Hybrid of Musical Improvisation and Bioart {SHMIB}》という作品です。活動している蟻の巣を展示して、その中にマイクとビデオを仕掛け、蟻の活動が作り出す音とステージ上の演奏家がコラボレーションする、というものでした。


細川
ありがとうございます。非常に革新的なことをされているんですね。では、次の質問です。

「あなたの住んでいる町に行く場合、行ってほしいところや食べてほしいものがあれば教えてください」

天野
本当に何も無いですね。私はあざみ野市民ギャラリーで仕事をしていて、年に2回、現代美術の展覧会を企画するのが基本的な仕事なので、あざみ野市民ギャラリーに行くしかないです。他に行く所は無いです。ただ、実は横浜では、IT関係の仕事で招聘されて、家族ぐるみで来られているインド人たちのコミュニティーが、もう10年くらいありまして、おかげさまで本格的なインド料理店ができています。そのくらいです。

ジェドシェツカ
ヴロツワフに来られたときには、ぜひWROアートセンターにいらしてほしいです。そして、街中を歩きまわった後には、ぜひ「ピエロギ」を味わってほしいと思います。

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これは日本で言うところの餃子みたいなものです。ポーランドのほとんどのレストランのメニューには、このピエロギが載っています。もちろん、ヴロツワフのレストランでも味わうことができます。ピエロギは、炒めたり揚げたり、具材も肉や魚などさまざまです。ブルーベリーやイチゴが入っているときもあります。この重要な言葉、「ピエロギ」をぜひ覚えてください。


細川
デザートにもなるし、おかずにもなる。両方の調理の方法があるのですね。ポーランドに行かれたときには、皆さんもぜひ試してみてください。では次です。

「最近興味をもっていることは何ですか」

天野
私にはあまり趣味が無いのですが、唯一の趣味は、上手か下手かは別として、料理をすることです。メキシコとかタイとか、台湾とか、出張に行くたびに唐辛子を市場で買ってきて、いろいろな所から集めてきては、家で干して粉にしています。それをそのまま使うこともあるし、ラー油を作ることもあります。それから、今年からはサラミに取り組みたいと思っています。

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さきほどジェドシェツカさんが、一種のダンプリングを紹介されましたが、あれはポテトを使っていますよね。しかしポテトとかトマトとか茄子というのは、17世紀頃に南アフリカから世界に到達した食べ物なんです。現在はグローバルな社会と言われていますけれども、実は17世紀には既に第1波が来ていた。イタリア人は、まるで大昔からトマトを作っているような顔をしているのですが、それはたかだか300年位の歴史しかないんです。食材を集めるときに、食べ物の歴史を考えると面白いですよ。そのようなことに興味があります。これからも続けようと思っています。

 

細川
次のスライドです。実はこれはご本人に写真をはめ込んでいただいた物なのですが、天野さんご自身で「マルチな才能」と…。

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天野
これはですね、自分で言っているのではなくて、イベントの写真です。ある日、レストランを経営されているシェフから「一晩だけ酒場をやらないか」と言われてイベントを開催しました。下のほうにあるのはエゾ鹿の肉で、北海道の某アーティストが撃ちたてのものを送ってくれたもので、すごくおいしいものです。この日のメインは鹿でした。横浜美術館時代は、海外から招聘したキュレーターやアーティストと、各々が自慢の料理を作る料理対決をよくやっていましたので、その流れですね。

細川
次、これは…

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天野
エルメスはご存知ですか。エルメスのファッションショーにモデルとして出たんです。横浜トリエンナーレのキュレーターをしていたときに、エルメスが協賛金を出してくれました。そして、協賛金を出すので会場でファッションショーをやらせてほしいと言われ、打ち合わせをしているときに「ショーに出てくれないか」とオファーがあり、出演したときの写真です。コートもシャツもベルトもズボンも靴も、全部足すと200万円くらいでしたね。ひとつもくれませんでしたけど。

少し話が変わるのですが、エルメスの創始者ティエリー・エルメスが生まれたクレーフェルトという町があります。ドイツの北の方です。実はドイツの有名な作家、ヨーゼフ・ボイスも同じ所で生まれているのですが、エルメスが生まれたときはクレートフェルトはフランス領でした。その後またドイツ領に変わっています。先ほどのジェドシェツカさんのお話にも、ボーダーがどんどん変わっていくというお話がありましたが、実はエルメスとボイスが面白いところで繋がっているんですね。

あとは、漫画『学芸員太郎』。私は天野太郎というのですが、一応モデルになったようです。少し老け込んだ顔をしていることだけ気になってますね。

細川
ありがとうございます。ジェドシェツカさん、何かコメントがありますか?ファッションモデルの天野さんに対しては…。

ジェドシェツカ
今のお話を聞いていて本当に面白いなと思いました。私の古い友人でWROアートセンターでチーフキュレーターを務めるピョートルという人がいるのですが、今年同じようにモデルのオファーを受けたんですね。私たちの元同僚のひとりで非常に成功したファッションレーベルをつくった人がいまして、その方がピョートルに、写真のファッションモデルをやらないかと声を掛けてきたんです。それは2019年の春夏もののカタログのモデルでした。60代でモデルのオファーを受けるなんて嬉しいことですから、職場のみんなもとても喜んだのですが、時に急進的で消費社会を批判するような作品を紹介する立場であることを考えると、ファッションモデルをやるのはちょっと変な話だな、と。それで結局、彼はモデルはやりませんでした。

細川
ファッションモデルをするという話だけでもさまざまなスタンスがあるんですね。ジェドシェツカさんからはこちらの写真をいただいています。

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ジェドシェツカ
このプレゼンテーションをするにあたり、ポーランドを発つ前に家の中を見渡しました。そして、部屋の至るところに石を置いているなと気付きました。これは台所の写真なのですが、こんな風に石がたくさん並んでいます。写真を撮ろうと思ってわざわざ並べたわけではないんですよ。普段からこうなっているんです。これらの石のほとんどは、自分で集めたものです。このシレジアという地域は山が多い場所で、いろいろな鉱石や石が豊富にあります。私はハイキングに行ってそこを歩くたびに、数キロの石を持って帰ってきてしまうんです。冷蔵庫の上だったりカップボードの上だったり、いろいろな所にこんなふうに石が置いてあります。ですから、最近私が興味を持っているものは、石といえるでしょうね。


細川
ありがとうございます。では次の質問に移りたいと思います。

「最近手がけた展覧会やプロジェクトを紹介してください」

天野
今、年明けに始まる写真家の長島有里枝さんの個展を準備しています。これは今までに無いような形式のものになると思います。長島有里枝さんは、何年か前に『背中の記憶』というエッセイを書かれました。これは、本人に言わせると小説に近いようなのですが、非常に文章がうまいです。その本を読んでいると、写真のイメージを想起させるようないくつかのシーンがあります。今回の展覧会では、全盲の方にご協力いただき、まず音読で全編を聞いて気になる所をチェックしていただきました。それを元に、長島さんが新作の写真を撮るか、あるいは自身の過去作の中からふさわしい写真をピックアップするかして、構成しようとしています。準備をしている私たちも、一体どうなるのかとワクワクしながら進めています。

スライド43(長島有里枝展 2019年1月26日(土)~2月24日(日)/横浜市民ギャラリーあざみ野)

その他には、中国の成都(チェンドゥ)にあるA4アートセンター(A4当代芸術中心/A4 Contemporary Arts Center)が、奈良美智の個展を準備したいということで、協力して進めようとしています。私が横浜美術館にいた2001年に、奈良美智の最初の大規模な展覧会を企画したので、その関わりです。札幌国際芸術祭に支障のない程度にがんばりたいと思います。

細川
もうひとつ、この写真がありますね。

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天野
これは金川晋吾展ですね。あざみ野ではいつも2つ展覧会をやっています。秋が現代美術で、正月明けの1月と2月が写真の展覧会です。あざみ野は市民ギャラリーでありながら1万2千点ものインターナショナルな写真のコレクションを持っています。とくにダゲレオタイプ、つまり写真の草創期から、1970年代、80年代くらいまでの写真とカメラのコレクションがあるので、年に一度、写真のコレクションを見せつつ、今、最も有能な若手作家の紹介をするということで企画をしています。2015年に私がここに移動する前からやろうと思っていたのが石川竜一、新井卓、金川晋吾です。これは自慢話なんですが、石川竜一も新井卓も、展覧会を決めて数カ月後に木村伊兵衛賞にノミネートされて、二人とも賞を取りました。木村伊兵衛賞というのは、若い写真家の登竜門で、小説でいう芥川賞のようなものです。ですので、あざみ野で選ばれると木村伊兵衛賞が取れるかもしれないという都市伝説を流そうとしたのですが、金川さんが最後のノミネーションまでいったのですが、惜しくも取れなかった。金川さんが取れていたら、都市伝説が成立したかもしれません。しかし、この金川晋吾さんの展覧会は、今年の写真展ベスト5に選ばれました。

細川
ありがとうございます。では続いて、ジェドシェツカさんの最近のプロジェクトの紹介をお願いします。

ジェドシェツカ
はい。このプロジェクトは、スウェーデンのウメオという町で11月13日から始まったものです。今回、私はそのスウェーデンの町から直接、札幌に来ました。ウメオにはオペラハウスがあり、そのホワイエにはスウェーデン語で「ヴィタークーベ」という白い箱のかたちをしたギャラリーがあります。縦横6メートル、奥行き3mの大きな白い箱が天井から吊り下げられているんです。

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このホワイトボックス自体も美術作品なのですが、音と時間にフォーカスした作品、つまりメディアアート作品を展示する空間にもなっています。

そこで私は、ウィーン出身のブリジッタ・ボウデンラウネルという作家による小規模な展示をキュレーションしました。彼女は音とアニメーションを使用してインスタレーションを作ります。

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少し見えにくいかもしれませんが、これはレーザー光線ではなく、スピーカーに取り付けた2本のひもなんです。スピーカーからアーティストが作った曲が流れていますが、それは人間が知覚できない低周波の音楽で、耳には聞こえません。しかし私たちはその音を、ブラックライトの中で光るひもによって「見る」ことができます。この作品はビジュアル・ミュージックの一種です。音がどのように動いているのか、見ることでしか知覚できない音楽です。私はこういったタイプの美術作品が大好きです。美的な価値があるだけではなく、現実の基本原理がどのように機能して世界が動いているのかを見せてくれるからです。

天野さんがこれからのプランを紹介してくれましたので、私からもこれからの予定をお伝えしたいと思います。WROアートセンターではビエンナーレを行っていますが、街の中のさまざまな場所で展示を行う予定です。現在、世界中のアーティストから1700を超える応募があり、札幌から戻ったらすぐにそれらの作品をチームと一緒にチェックして、展示する100作品を選びます。日本人アーティストによるエキサイティングな作品も多く展示されることになると思います。


細川
ありがとうございます。こちらから用意した質問はここまでです。このあとは自由にお話を伺っていきたいのですが、まず、今それぞれのお話を聞いて、お互いにどのような印象を持たれましたか。天野さんからジェドシェツカさんへの質問があればお願いします。

天野
そうですね。まず、領域について伺いたいと思います。ジェドシェツカさんはいわゆるメディアアートと呼ばれている領域にいらっしゃいます。私の場合はどちらかというとファインアートと呼ばれている領域です。絵画や彫刻、伝統的な形式を守りながら、というところがあります。しかし、そもそもメディアアートとはどういう意味なのか、他の美術と違うのか、違わないのか。その間のボーダーはどんどん無くなっているとは思うのですが、それでもよく分からない部分もありますよね。先ほどの応答でさまざまな活動をされているのを見ましたが、この活動が、3回目の札幌国際芸術祭の中でどのように現れてくるのでしょうか。メディアアートとファインアートのボーダーについてはどうお考えなのか、お伺いしたいです。

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ジェドシェツカ
天野さんからのご質問への答えになると良いのですが、まずは、「アート」というものがあります。それはとても大きく、興味深い領域です。そしてどのアートも、かつては「現代アート」だったはずです。現代アートにおいては、その時代の新しいツールが作品制作によく使用されます。

テクノロジーが発達している現代では、アーティストが使用するツールやデバイスは、私たちが生活のさまざまな場面で使用しているものです。メディアアートと呼ばれているジャンルでは、こういった新たなテクノロジーツールがより意識的に、批評的に使用されているのが特徴だと言えます。

アートはとても広いフィールドですが、そこで使われるツールの一部は、世界の原理や、デジタル化が急速に進む現代社会におけるプロセスやシステムを理解するツールにもなりうるものです。

メディアアーティストの中には、このような考え方や、「メディアアートゲットー」とも言えるような、凝り固まった型にはめられることに居心地の悪さを感じ始めている人もいます。ですが私は、作品制作に使われるツールやその使われ方が、現代アートの主流とメディアアートではどのように違うのか、ということがやはり大事だと思うのです。

ビデオを例に挙げてみると、ビデオそのものをファインアート的に使うこともできます。しかし一方でビデオは、時間と空間の関係性や、それらがどのように映像に収められているか、ということを示すツールとして使用することもできます。

そのようなアプローチで20年以上にわたりポーランドのメディアアートフェスティバルの運営に携わってきましたので、実のところ札幌国際芸術祭に向けて新しいアイデアがあるわけではなく、基本的に今まで実践してきたことを札幌国際芸術祭でも継続してこうと考えています。

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細川
ありがとうございます。いまお話していただいたようなことを、今後、作品やプロジェクトで見せていただけるかもしれませんね。実は、現在まさしく次回に向けたテーマについて考えていただいている最中です。今回ジェドシェツカさんは初めての札幌ですが、12月3日に到着されてからさまざまな場所を見ていただきました。これはお二人に伺いたいのですが、今回札幌国際芸術祭2020の企画ディレクターのオファーが来たときに、どのようなことを思われましたか。

天野
私はこれまで、札幌国際芸術祭のコミッティーのメンバーでしたので、それこそ次回のディレクターを誰にするかとか、国際芸術祭のあり方についてアドバイスをする役割でした。ディレクターの話が来たときは、ちょうど、3回目のディレクターは誰がいいかと考えていたときだったので、正直なところ、「何を言っているんだろう…」という感じでしたね。最初は坂本龍一さん、2回目が大友良英さんと、名の知れた人が務めてこられたわけですから、まさか自分がと驚きました。

細川
ジェドシェツカさんはどうでしたか。

ジェドシェツカ
大体天野さんと同じですね。数カ月前にその知らせを受けたときには、本当に驚きました。一方で、どこか心地良さも感じています。ポーランドで日本人のアーティストと仕事をする機会がどんどん増えていて、とても良い提携関係も確立できてきています。ですので、より大きなプロジェクトを共同で作り上げたいと願っていたところでもありました。そうしたら台風のように夢の知らせがやってきたんです。これにはとても驚きましたが、それと同時に私のこれまでの仕事のことを考えると、とても理にかなっているような気もします。芸術祭形式に慣れていますので、今回のオファーを心地良く受け止めています。

細川
ありがとうございます。今回初めて札幌にお越しいただいたのですが、札幌について感じたことを自由に話していただきたいと思います。

ジェドシェツカ
日本に来るのは5回目になりますが、札幌、北海道に来たのは今回が初めてです。札幌に到着してからの数日間は精力的にあちこちを巡りました。市内で展示場所になりそうな素晴らしい美術館、博物館などの各施設、また市外では赤平の炭鉱、アイヌ文化に関わる場所も訪れました。総じて充実したリサーチをすることができたと思います。

芸術祭を企画する立場から見ると、ここにある場所の多くがそれぞれの文脈を抱えており、それはさまざまな問題に取り組むアーティストに材料を提供してくれるので実に良いなと思いました。意義ある「場所の固有性」は、キュレーションにおいてとても重要です。地理的な意味にとどまらず、歴史的背景や社会環境に結びついたより深みのある「場所の固有性」が作品づくりに生きてくるからです。

札幌はとても素敵な都市だと思いました。大きすぎず、小さすぎず、サイズがとても良いですね。札幌の皆さんはとても親切で、いつもサポートをしてくれます。それに皆さん素晴らしい札幌スマイルをお持ちで、私は本当に滞在を楽しんでいます。また、事務局のサポートも手厚くて、新しい同僚たちと、これから一緒に動いていくのが非常に楽しみですし、ありがたいと思っています。この数日間は札幌国際芸術祭についてのアイデアを膨らませるのに、本当に良い機会になりました。

細川
天野さんは以前、札幌にお住まいだったと思うのですが、今回、ジェドシェツカさんと一緒に改めてリサーチをされて、今どのようなことを考えていらっしゃいますか。

天野
そうですね。よく、世の中はどんどん変わっていくのだという言い方をしますが、どの時点であっても同じ状態があるわけではないと思うので、変わっていくのは当然だと思います。札幌の話に直接言及できるかどうかは分かりませんが、新しい風景が出てきているように思いますね。例えば、私のマンションにはスリランカ人が住んでいます。その方は、仕事で車のデザインをしています。先ほど、私の家の近所にインド人のコミュニティができているという話もしましたが、例えば東京に新大久保という所があって、これまでは美味しい韓国料理を食べたければ新大久保に行けばよかったのですが、今はむしろイスラム圏の方々のコミュニティが増えました。それに、ミャンマーやカンボジアの人達のコミュニティもできています。レストランもあるし、とても安くて、その国のオリジナルのごはんを食べることができます。しかしこの風景はおそらく、これまで日本がさまざまに変化してきた中でも、日本人が初めて受け入れなければならない風景として出てきているのではないかと私は思っています。そして、こういった状況は、おそらく2020年までのたった2年の間でも、いろいろな意味で拍車がかかるだろうなと思います。こういう状況は他人事ではなくリアリティをもって迫っていることなので、芸術祭で表現をする人たちも、こういったテーマ抜きには作品を作れないと思うんです。

2週間程前にオーストラリアのブリスベンで、アジア・パシフィック・トリエンナーレという展覧会が始まりました。これは27年間続いているものなのですが、今回私が一番驚いたのは、アフリカで生まれ、ベイルートで育って、その後、ベルリンで勉強した後に日本でも大学を2つ出て、面白い作品を作ってる人がいたのですが、いきなり日本語で話し掛けられたことです。日本語がペラペラなんですよ。日本に来て勉強したという人はたくさんいますし、いろいろな所を転々としてきたアーティストもいますが、もっと入り方が深くなってきているというか、少し毛色が変わってきている気がします。しかもその方は日本人になりきるのではなく、自分が生まれた育ったイスラム圏の美術について掘り起こすような仕事をしています。かつての日本人は「イスラムの人がそういう関心を示してくれている」という風に、つまり、ある意味「他人事」として捉えていたわけですが、今は「わたくしごと」になってきているんですね。札幌の風景でも、そういったことが増えて、また新しい風景になるようなことがあるのではないかと思っています。また、国際芸術祭は過去を振り返るものではなくコンテンポラリーなものなので、これからどうしていくかということは、重要だと思っています。

細川
ありがとうございます。いま天野さんには、現代の状況を含めてのお話をいただいたのですが、今回の札幌国際芸術祭は初めての冬期開催になります。天野さんは札幌の冬を何度も経験されていると思うのですが、それに関しての印象や意気込みはありますか。

天野
どうでしょう。やはり最初に冬開催を聞いたときは大丈夫かなと思いました。道内の方は大丈夫かもしれませんが、アイスバーン状態で歩きまわるということを考えると大変です。ただ、冬に芸術祭を開催できる地域は、他には無いと思いますので、北海道らしい芸術祭だと言えることは確かだと思います。普段、私たちは雪について、白くて、寒くて、非常に重いとしか考えていないので、案外、雪についてそこまで知らないのかもしれませんが、表象的な可能性はたくさんあると思いますし、さまざまな形でのアプローチが可能だと思います。どんな取り組みができるのか不安もありますが、まずはしっかりとしたインフラを作る必要があるでしょうね。

細川
ジェドシェツカさん、ポーランドは雪が降るのかも含めて、コメントいただけますか。

ジェドシェツカ
残念ながら、最近はヴロツワフの街に雪が降り積もることはないんです。近郊の山々にはもう雪があるかもしれません、ホリデーシーズンにスキーができる位に積もればいいなと思います。北海道のパウダースノーの評判を聞いていましたので、昨日から雪が降り始めてとても嬉しくなりました。実際に雪を見たことで、2020年に開催するときのコンデイションがどのようなものか、今はかなり想像できています。

そして、そういう環境を受け入れることが今回の芸術祭のコンセプトの一部であると考えています。自然は、全て円滑に整えられているとか快適でなければならないといった、通常の展示を行う際のアプローチとはかけ離れた環境です。だからこそ、雪景色の厳しい環境下で、あえてアートを取り扱うことに何か価値を見出だせたらいいのではないかと思います。

現代にはハイテク機器や高性能アウターがあり防寒対策は万全、すぐ外に飛び出して行けます。ですからアートに接するのに冬がだめな理由はないですね。それに東南アジアから訪れる、アートに興味はあるけれど冬を経験したことのない方たちにとって、冬や雪という環境は非常にワクワクするものだと思います。ですから観光という面でみても札幌にとって、きっととても有益です。

WROメディアアートフェスティバルの1回目は1989年の12月に開催されました。たしか1994年には5月の開催になっていましたが、初回から数回は冬に開催していたんです。その頃のポーランドはとても寒く雪もありました。ですので、冬の開催でも大丈夫だとお約束できます。

細川
ありがとうございます。では私からはこれで最後の質問にして、あとは皆さんから質問を受け付けたいと思います。2020年に向けて、今はまだ考え始めたばかりだと思うのですが、イメージや意気込みなどをそれぞれお聞かせください。

天野
個人的なことですが、私は大きな美術館が嫌になって小さな所に移ったのに、また大きな仕事をすることになってしまいました。しかし、私は札幌で学芸員という仕事を始め、ここで本当に鍛えられました。当時の先輩たちは、日本中で活躍しているようなアーティストをたくさん輩出していたのです。だから恩返しというか、ここでさまざまな経験をさせていただいたので、私もこれまで培ってきた人的な繋がりや経験を、全て注ぎ込もうかなと思っています。全てここで使い果たそうと、そういうつもりでやろうと思っています。

細川
ありがとうございます

ジェドシェツカ
私も、自分の専門性やネットワークを発揮させる機会だと考えています。世界中のアーティストや連携機関とのネットワークを活用できれば、札幌国際芸術祭2020に良い効果を与えられると思います。

さきほど天野さんが変化する社会について言及されていました。その変化を、ヨーロッパや世界のほかの地域で活動しているアーティストの視点から見てみることは、札幌の皆さまにとって面白いものになると思います。少し尊大に聞こえてしまうかもしれませんが、私たちWROはメディアアートにおける重要なグローバルプレーヤーであり、ヨーロッパの一地域をベースとしながらも、ウクライナやドイツのアーティストと深い協力関係にあるなど、これまでに世界で大切な親交を築いてきました。そのような外の視点で変化を見つめてみることは、きっと刺激的な体験となると思います。


細川
ありがとうございます。では何かご質問ありましたらお願いします。

質問者
現代アートを全く知らない人たちに対して、おすすめの見方だとか、人生を豊かにしていく上で現代アートに価値があると考える点を教えていただきたいです。

ジェドシェツカ
さきほど申し上げましたように、すべてのアートがかつては「現代アート」だったわけです。そして人類の歴史が進むにつれて、さまざまなかたちのアートが蓄積されてきました。昔の作品に加え、現代に生きるアーティストたちも作品を創造し続けています。この急速に変化し続けるおかしな世界の中で、彼らは、いまの世界で感じていることを作品で表現しようとしているのです。

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多くの人は、昔の作品を見るとその作品をもう理解した気になります。それらが絵画や彫刻で、現実にあるものを表しているからです。しかし、西洋芸術において水彩と油彩がそれぞれ使われるときの重要な違いを理解しているでしょうか?ある絵の片隅に、ある種類の花が描かれているのはなぜなのか理解しているでしょうか?現代の私たちにはそれらの理由がわからなくとも、5・6世紀前に生きた人々はそのサインが読み取れていたはずで、そういう今の私たちから見ると些細に思えることが、実はその時代に生きた人々にとって重大なメッセージが込められていたりするのです。

現代アートを理解するには、ある特別な知識が必要だと思う人が多いですが、そうではなく、心を開き創造力を働かせることこそが大切だと私は考えます。ただそこに見えるものと交流を図るのです。なぜなら作品は往々にして皆さんが日常で使うツールを用いて制作されており、また、皆さんがよく知っている現代の文脈において制作されているのですから。札幌国際芸術祭2020の来場者に、このような現代アートへのアプローチに興味を持ってもらうことは、私たちにとって一仕事でしょうが、楽しみなチャレンジとなると思っています。とにかく来てみて心を開き、作品と交流してもらう、そのために参加者とアーティストと一緒に取り組んでいきます。それは札幌の皆さんになじみがない方法かもしれませんが、WROアートセンターで実践してきて大きな成功を収めています。これが私のプランです。

天野
「現代美術と呼ばれているものが一体どういうものなのか分かりにくい」というお話のように思えたのですが、そういう質問ということでよろしいでしょうか。私は、よくそういったことについてのレクチャーをしているのですが、そのときにいつもする話をします。

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例えば、展覧会を見に行かれたときに、18世紀までの作品があるとします。ルーベンスとかレンブラントもそうですね。今だとそれぞれの作品にはタイトルがあります。ところが、18世紀までの美術作品にはタイトルが無かったんです。ルーブル美術館がオープンしたのが1793年ですので18世紀末なのですが、当時はフランス中の貴族の家や教会から集めた作品が500点程度でした。開館に向けてルーブル美術館が行った最初の仕事は、全ての作品にタイトルをつけることだったんです。

今、21世紀ですね。僕も美術大学に週1回講義をしに行っているのですが、誰も頼みもしていないのにアーティストになる人がたくさんいますよね。例えば自分の子供が「絵を描きたい」「美大に行きたい」と言うと、親はもれなく反対しますよね。歓迎する家は少ないと思います。つまり、「誰にも頼まれもしないのに絵を描く」という習慣は、19世紀に生まれているんです。18世紀までは絵画作品は注文があって初めて成立していましたから、そんな人はいなかった。ということは、ざっくり言いますが、美術が生まれる形式が全く変わってしまったわけです。「誰も頼みもしていないのに」という言い方は語弊があるかもしれませんが、しかしその作品は、皆さんのために描いているわけでもないし、多くの方に理解を得ようと思って描いてるわけでもないので、そういった作品が理解しにくいのは当たり前なんです。みんな自分の話を作品にしているので、極端に言えば「お前の話を聞かされても困るよ…」となってしまう。そういう関係になってから250年くらいしか経ってないんです。

19世紀のフランスの画家のマネの作品《サンラザール駅》という絵があります。駅らしい場所に女性が佇んでいて、その隣に後ろ向きの女の子が居る絵です。レクチャーの中で、その作品と、もっと抽象的な絵とを並べて、「どちらが分かりやすいですか」と質問します。そうすると多くの方は、「抽象的な絵は何が描いてあるのか分からない、でもこっち(《サンラザール駅》)は分かる」と仰います。ところが「では、この座ってる女の人が誰か知っていますか?」と聞くと、みんな知りません。隣の女の子は後ろの方を向いているのですが、この二人が親子なのか姉妹なのか、はたまた赤の他人なのか、分からないんです。実はこの絵には、僕らが知りたい情報が何もありません。しかもこの二人は、画家がそこで偶然出会った人をスケッチしたわけではなく、わざわざここでポーズをつけてもらって描いています。自然でも何でもない。こういう作品が出始めると、できあがった絵画だけを見ても、何も分からない。そこで、美術館みたいなものができて、一生懸命キャプションを作り、画家がなぜこんな絵を描いたのかという説明を書き、それを読んで初めて我々が分かる、という風になってしまったんですよ。つまり情報がないと分からない。そういう関係になってしまったのも、比較的新しいことです。

例えば美術愛好家という存在も19世紀に生まれます。それまでもメディチ家とか、美術作品を集めているいろいろな人がいましたが、彼らは愛好家ではありませんでした。絵が好きで集めているわけではなかったんです。愛好家みたいな存在が生まれるのもつい最近なんですね。

いろいろとお話ししましたが、こういったことを国際展に向けて勉強しようかと話しています。意外といろいろなことがつい最近なんです。それと、これはジェドシェツカさんにも相談しなけらばならないのですが、選んだ作家には極力札幌に来てもらって、自分が何をしようとしているのかを、皆さんの前で説明してもらおうかなと思っています。協力が欲しいアーティストはそこで皆さんに呼び掛けます。全員を呼ぶと大変ですが、ポイントポイントでやりたいなと思っています。僕もそうしてもらわないと分からないことだらけですし、美術はそういったプログラムを作らないと理解できない仕組みになってしまったんですよね。だから、ご安心あれ。分からないのは自分のせいではない。アーティストが悪いんです。

細川
ありがとうございました。まだまだ聞きたいところではあるのですが、第1弾のトークはここまでになります。今後も、皆さんと一緒にディレクターや関わりの深いアーティストの話を聞く機会をつくりたいと思っていますので、ぜひご参加ください。今日はこれで終了させていただきます。ありがとうございました。

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